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no rain, no rainbow

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ノマディック美術館に行った数日後、
リハビリに近所の大きな公園を歩いていた。

その日はやけに暑くて、
鳥がたくさんいる池が見えるベンチで休憩していると、
変な光景を見た。

空の首輪がついた犬用のひもを
引っ張るおじさんが歩いてきた。
首輪の金具がコンクリートにあたって、
カラカラ言っている。

少し妙な色のコーディネートの服を着ていたし、
少し頭がおかしい人なのかな、と思った。

そのおじさんが通り過ぎて行ってしまった後しばらくして、
犬が走って来て、
突然わたしに飛びついてきた。

かわいい犬で、やけになつっこく、
少々戸惑いながらも、なでていると、
さっきの妙なおじさんが走って戻ってきた。

「わあ!!
 やけにひもが軽いと思ったら、首輪が外れてた!
 ほんとにすんません、すんません!!」

その真剣な様子が妙におかしくて、
思わず吹き出しそうになった。

「わあ!!」と驚く前に、
さすがに犬の首輪が外れたら、
その瞬間の感触の変化で気づくだろう。

そんなわたしの疑問なんてまったく気にせず、
おじさんは
「おまえ!どうやって外したんだ。まったく。
 困ったやつだなあ」
と、犬にあわてて首輪をつけていた。
犬はというと、うれしそうに、おじさんに飛びついていた。

そのおじさんが、
その後何度も恐縮してわたしに謝りながら
犬と仲良く去っていった後、
わたしは妙に納得した。

人間と動物の関係は、
これでもいいと思った。

こんな滑稽な関係性でいいのではないか、と。


宮崎駿の「魔女の宅急便」で、
キキの魔法の力が弱くなっていくのと同時に、
キキはあんなに仲が良かったジジのことばがわからなくなった。

その状況は、キキが前と同じように、
いや、前以上に空を飛べるようになった後も
結局変わらなかった。

あれは結局、キキの魔法に対する迷いのせいなのか、
ジジに恋人ができたからなのか、
よくわからないけど、
それでも、変わらず
キキはずっとジジといっしょにいる。

それでいい。


どんなに滑稽でも、
わたし達はわたし達のやり方で、
動物と、あるいはそれ以外のもっと大きなものと、
共存していけばいいんんじゃないかなあ。





【前回の“ashes and sonw”の感想のつづきでした。】



彼の作品には、どれも妙な威厳がある。
そして、とても一言では言い表わせないほど、
“うつくしい”。

きっと、この1枚を、この一瞬を切り取るための膨大な膨大な時間が
作品に計り知れない重量感を持たせているのだと思う。



お台場のノマディック美術館、
グレゴリー・コルベールの“ashes and snow”に行った。

ちょうど今日までやっていたその移動美術館に、
妹といっしょに足を運んだのはもう2週間ほど前。




象と少年。


チーターと少年。


オラウータンと女性。



動物と人間による、無言の壮大なコミュニケーションが
写真・映像・小説・空間によって
余すことなく表現されている。



でも、artとしての完成度の高さに圧巻される一方で、
最初から最後まで、ずっと妙な違和感がつきまとっていた。

心の裏がざらざらとする感じ。
この美しい写真たちに、からだの奥が拒否反応を起こしていた。

この美術館の感想は多くの友人からも聞いた。
涙が出た、という友だちもいた。

グレゴリーが伝えたいテーマに共鳴できないなんて、
きっと自分がひどく汚れているからかもしれない。
そんな考えも浮かんだが、あえてはっきり感想を言う。


どうしても、作品の中の人間と動物の関係性が嘘くさい。

少なくともわたしは、
人間と動物の関係性はこんなに美しくないと思う。
人間と動物の距離は、もっと遠く離れてしまった。
とても、かなしいけれど。
だから、わたしはこの美しい空間の中で、
なんだかずっとかなしかった。


人は、チーターが隣にいたら、
目をつむってじっとしていることなんてできない。

ハイエナの群れが牙をむいていたら、
踊ろうなんて絶対に考えない。

壮大な自然の中で、動物と対峙したら
人間のとる行動は、きっともっと滑稽だ。

それは、はるか昔から
動物を、食物として、あるいは鑑賞物として、あるいは宝飾物として、
人間より下位の生き物と認識してきた、
人間の業なのではないか。


でも、何かを感じ、考えさせることが、
artのひとつの定義だとしたら、
グレゴリーはやっぱりすごい。



画面いっぱいに、ただ上から
オラウータンの片うでが垂れている映像があった。
その腕はゆっくり揺れていた。
その映像は、次に
同じ構図で人の手を映した。
人の手もゆっくり揺れていた。

でも、人の手は美しすぎて、なんだか悲しかった。

ラオスを旅していて、乗り合いトラックに乗ったとき、
となりに座っていた現地のおばさんに、
わたしの手をなでられながら
「きれいな手ね」と言われて、
とても悲しかったのを思い出した。
おばさんの手は、農作業のせいかとても荒れていた。

そのときと同じくらい、ひどく悲しかった。


人は賢くなった。

この手で、色々なものを生み出してきた。
でも、同時に
この手で、様々なものを遠ざけてきたのかもしれない。
この手は、人も動物も地球も殺せる。


女の人が肩に、オラウータンをのせて
古い本を読んでいる映像もあった。

オラウータンに本なんて読ませないで欲しかった。


違和感は今でもつきまとうけど、
この作品の中に映し撮られているように、
一瞬でも動物と交じり合うことができたら、
きっとすごく幸せだろう。

それは、なんとなくわかるから、
だから、見てよかった。




脊髄腫瘍になってから、
他人との間に距離感を感じるようになった。

「元気じゃん」と言われるたびに、
ざらざらした、明らかな違和感が押し寄せる。

彼らが本当に心配してくれていただろうことはよくわかる。
その気持ちはほんとにうれしかったし、
そうゆう応援に何度救われたかわからない。
心底感謝している。

でも、見た目が元気になると同時に、
見えない麻痺や痺れや痛みが、
どんどん他人との壁を厚くする。
痛いのに。
痺れてるのに。
動きづらいのに。
なんでわかってくれないんだろう。
ハンディが残っているのに、
それを理解してもらえない。
同情してほしいわけじゃない。
ただ、わかってくれればいいのに。

苦しかった。

それなら、もっとわかりやすく
大きなハンディが残った方がよかったなんて
本当に馬鹿なことを考えたこともある。

でも、病気と向き合った時間と比例して、
すごく大きな大前提に気づき始めた。

「自分と他人は圧倒的に違うこと。」

それはネガティブな意味ではない。

他人の苦しみを、悲しみを、喜びを、怒りを、
100%完璧にわかることなど絶対に不可能なのだ。

だからこそ、人は孤独を感じる。

でも、だからこそ、人は「分かり合いたい」と
思うのだろう。

そして、大事なことは、
わたし達は、たった一部でも、ほんの一瞬でも、
同じ想いを共感・共有できるときの
大きな大きな幸せを知っている。




ずっと見たかった「BABEL」を見た。
イニャリトゥ監督は「アモーレ・スペロス」「21g」ともに
大好きな監督だ。
彼が生まれ育ったメキシコを、
わたしもとても好きだという単純な理由だけではない。

彼の映画は、いつもとても秀逸だと思う。
彼は、映画の持つ力をよくわかっていて、
それを最大限に利用して、
とても大きなテーマを“表現”している。



ある友だちが卒論で、
写真は“点”で、映画は“線”だという論を展開していた。
映画のできた歴史から考えても、
映画が持つストーリー性からみても、
それは明らかだろう。

イニャリトゥ監督の映画を見ると、
その映画の力がよくわかる。



時間軸・空間軸を微妙にずらしながら、
複雑なストーリーを絶妙に展開していく。
そして、圧倒的な個性を持った映像と音楽の力。

そして、何よりタイトルに象徴されるような大きなテーマを
作品の主軸に選んでいることに、
映画の力を理解していることがよくわかる。



この映画の宣伝で流れる文章を引用する。

『神よ、これが天罰か。
 言葉が通じない。心も伝わらない。想いはどこにも届かない。
 かつて神の怒りに触れ、言葉を分かたれた人間たち。
 我々バベルの末裔は、永遠にわかり合う事ができないのか?
 モロッコの片隅で偶然放たれた一発の銃弾が
 アメリカ、メキシコ、日本の孤独な魂をつなぎ合わせてゆく。
 耳を澄ませば聞こえてくるはずだ。
 初めて世界に響く、魂の声が。
 2007年、世界はまだ変えられる。』




彼は作品の中で、無駄な“ことば”を使わない。

菊地凛子が演じる聾唖の女子高生チエコが、
理解してほしいと求めた刑事に渡した手紙の内容が
観客に示されなかったことが、
それをよく象徴していると思う。

旧約聖書にあるように、
人間は神に“ことば”を乱されたのかもしれない。

“ことば”は、人と人がわかり合うのに必要不可欠だ。

でも、逆に“ことば”が人と人がわかり合うことを邪魔することもある。

あえて、必要以上に“ことば”を見せないことで、
観客に考えさせる。
イニャリトゥ監督の作品は、そんな作品だ。

映画には、色々な種類があって、
ハリウッド映画のように、エンタテイメントとして、
観客を楽しませたり、興奮することを目的としていたり、
泣かせることを目的としていたりする作品もある。
そして、そんな作品には、明確にメッセージや答えがある。
観客はそれに納得したつもりになって、すっきりして帰る。

でも、イニャリトゥ監督の作品はそうではない。
感じさせる。考えさせる。

「BABEL」のラストシーンには、かすかな希望があるけれど、
そこから何を感じるかは、観客に任せている。

それが、本当の映画だ、とわたしは思う。

そして、もっとわたしたちは
“考えなければいけない”のではないか、とも思う。

差し出された答えに納得していただけでは、
本当の孤独は埋まらない。
答えを提示されることに慣れてしまうのは、
とても危険だ。

なぜなら、
自分と他人は、圧倒的に違うから。

でも、分かり合いたい。共感したい。

そして、わたしたちは
違いを乗り越えて分かり合えたときの
大きな喜びを知っている。



こうして、このタイミングで、
この映画に出会えたことを
とても、幸せだと思う。

そして、やっぱり思ったこと。

わたしもいつか映画が撮りたい。




世界はつくづくやっかいだな。

長いエンドロールを見ながら、
吉岡忍が「放熱の行方」に書いていた言葉を改めて思い出す。

『社会とか、世界というもののいちばんやっかいなところは、
 見えないところがあまりにも多いことだ、というのが私の考えてある。
 私たちが見たり、知ることができることなどは、
 ほんのわずかにすぎない。』


見えないのに、わたし達が思っている以上に、
世界は繋がっているのだ。

わたし達が婚約指輪でもらって喜ぶダイヤモンドにも、
わたしがまったく知らなかった衝撃の事実があった。

妹も、映画の趣味が合う友人も薦めていた
「BLOOD DIAMOND」をついに見た。



舞台は、内戦下のアフリカ、シエラレオネ共和国。

アフリカ、内戦…。
ニュースや新聞でよく見慣れたそれらのキーワードは、
悲惨だろうという想像はできるけれど、
わたし達とは遠くかけ離れたキーワードのように聞こえる。

けれど、それらの地域の武装勢力は、
どうやって必要な武器や兵器を調達しているかを知ると、
そんなことは言っていられない。



武装勢力は、その支配地域で採取した資源を
市場に流すことで、
重要な資金源を得ている。
その資源とは、アフリカでは象牙、石油、ゴールドなどであり、
そして、この映画に出てくる「紛争ダイヤモンド(ブラッド・ダイヤモンド)」である。

そして、不正なダイヤモンドを巡り、
紛争、強制労働、難民、子ども兵…という
重大な社会問題が連鎖していく。



映画上では、
元傭兵のダイヤ密売人にレオナルド・ディカプリオ、
家族を愛する漁師役にアフリカ出身のジャイモン・フンスー、
やり手のジャーナリストにジェニファー・コネリーが扮し、
それぞれ幻のピンク・ダイヤモンドに、
「自由」「家族」「真実」という異なる願いを求めて、
ストーリーが展開していく。

エンタテイメントの形でメッセージを伝える。
映画の意義をもうひとつ思い知らされた。



誰が正しくて、誰が間違っているか判別して、
悪を一掃すれば済む問題ではないことが、
2時間半の作品を通して、重くのしかかってくる。

それぞれに、それぞれの背景があり、
守るものがあり、望みがある。

この映画の中でも、
特に、ディカプリオが演じるダニーの変化は素晴らしい。
人にはいくつもの面があって、
人と人が向き合うことで
変わる要素があるんだって気づかされる。



それでは、何が人を狂わせるのだろうか。

わからないことばかりだ。
だけど、「知らない。わからない。関係ない。」
とは、言えない現実がそこにはある。

なぜなら、ダイヤモンドを喜んで買うわたし達先進国の消費者が、
ダイヤモンド紛争を加速させ、
どこかで人が殺され、
どこかで親と子が引き離され、
どこかで人を奴隷にさせる、一端を担っているからだ。



わたしがこの映画から学ぶことはなんだろう。

ひとつは、この映画を見て初めて知った
「キンバリー・プロセス」だろう。

キンバリー・プロセスとは、
非合法なダイアモンド取引を世界から一掃することを目的として、
ダイアモンドが国境を越える際には、
紛争とは関わりのない地域から採掘された石である事を政府が認定する
キンバリー・プロセス証明書を添え、
不正に開封できない容器を使用する事が定められている。
同時に、輸出はキンバリー・プロセス加盟国にだけ許可される。

この存在を知ることも、
消費者としては重要な義務だろう。


もう一度だけ、吉岡忍の言葉を借りる。

『難民たちが自分のことしか考えないばらばらの集合と言うなら、
 日本も世界もみんなそうではないか。
 日本も世界も、ますますそうなっていくだろう。
 そこでかろうじてつながることができる道筋を考えていくことが、
 私たち一人ひとりにとっての社会的営為というものだ。
 旗を振ったりスローガンを叫んだりする前に、
 脈略もなく散らばった現実をもっと深く認識し、
 そこから何ができるかを考えたほうがよい、と私は思っていた。』



わからないことばかりの中で、
ひとつだけ忘れてはならない気持ち。

人間が人間を狂わせ、悲しませる連鎖は
絶対に間違っている。



病院の朝は早い。

6時に放送が流れて、
看護婦さんが血圧や体温を測りに来る。
カーテンが開けられて、
窓側のベッドのわたしは、
朝日がやけにまぶしくて、
目を細めながら、現実と夢の間をいつもまどろむ。

看護婦さんが帰ったあと、
同じ病室のふたりはいつも、
「逃亡してきまーす」と行って出かけていく。

そんなときのふたりは
点滴をしていても、病人とは思えないほど
とても明るい。

朝ごはんの後や、
昼ごはんの後、
消灯前の時間に、
彼女らはこぞって逃亡する。

そして、帰ってきたときの顔はもっと明るい。


逃亡とは、たばこのことである。


看護婦さんに車いすで運んでもらわないと
何もできなかったわたしは、
そんなふたりをいつもうらやましく思っていた。

大好きだったたばこを吸いたいという気持ちよりは、
その「逃亡」という行為がなんかいいなと思っていた。


遅刻して学校に行くときの
なんだかよくわからない優越感のような。

仕事中、打ち合わせと打ち合わせの合間の隙間時間に
カフェに入ってお茶を飲むときのような
ちょっと後ろめたさがある、
でも安らげる一瞬の休息のような。


だから、点滴棒などを頼りに
なんとかひとりで歩けるようになったときは、
ひそかに逃亡の誘いを待った。

「いいなぁ。わたしも吸いたいな〜」
逃亡から帰ってきてすがすがしいふたりに
ぼそっとつぶやいてみたりして、
ふたりが「吸っちゃえば?」というのを待っていた。


抜糸も済んで、
だいぶわたしのリハビリが進んできた頃、
ふたりがようやく言ってくれた。

「明日香ちゃんも逃亡する?」

あのときは、うれしかったなぁ。


3人で向かった、病院の外にある喫煙所には、
人がいつも溜まっていて、
みんな明るくて、
すぐ仲良くなった。

みんなはそんな自分たちのことを
不良仲間と言っている。

いろんな科の入院患者がいるから、
いろんな病気にくわしくなった。

医療系の情報番組やドラマは
なぜかみんな欠かさず見ていて、
次の日必ずそのテレビ番組の話になる。

「この病院にコトー先生がいればなぁ‥」とか、
「進藤先生がいればもっと悪くなる前に気づいたのに‥」とか
ドラマの世界に浸って、ふざけたことを言っている。

手術前だったり、
再発して再入院になったりして、
ナーバスな人がいると、
みんなで脅していじめたりするけれど、
病室に戻るときには、
みんな絶対笑顔になっている。


病気の分だけ、
つらい分だけ、
その分、みんなやさしかった。

病の経験は人をやさしく、
大きくするのかもしれない。


わたしは最後まで年上のみんなに
甘えてばかりだった。
コーヒーやらお菓子やら、いろんなものをおごってもらった。
泣き言もいっぱい聞いてもらった。


病室から喫煙所という、
短い、ささいな逃亡が、
わたしをいつも真っ暗なトンネルから
引っ張り出してくれた。

ありがとう。



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