tom_flavor_issue 2020-11-02T04:37:57+09:00 no rain, no rainbow JUGEM SUNSHINE。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=234 2007-08-07T01:11:50+09:00 2007-08-07T02:40:58Z 2007-08-06T16:11:50Z 他人の家のことなんて知らないけど、
わたしの家族は結構変わっているとおもう。
A型のお父さん。
B型のお母さん。
O型のわたし。
AB型のいもうと。
B型のおとうと。
ちっちゃい頃、わたしだけAもBも入っていない血液型であることに、
捨て子じゃないかと本気... asuka a view of movie
わたしの家族は結構変わっているとおもう。
A型のお父さん。
B型のお母さん。
O型のわたし。
AB型のいもうと。
B型のおとうと。
ちっちゃい頃、わたしだけAもBも入っていない血液型であることに、
捨て子じゃないかと本気で悩んでアルバムを引っかきまわしたこともあったが、
そんな謎は高校1年の生物の授業であっさり解明されたから、
ここではおいておく。
(思えば、苦手な生物のテストで点を取れたのは遺伝のとこだけだった。)
なんであえて血液型を書いたかといえば、
血液型がばらばらであることが、
性格も趣味・嗜好もてんでばらばらであることと関係があるはずだ、と
宗教のように信じている点が
わが家の家族全員のあいだでめずらしく一致しているからだ。
(例外は、おとうとはお母さんと血液型が一緒という点で、
ひとくくりにB型を分析されることを嫌がっているところだ。)
本当にに変なところは山ほどあるのだけれど、
家族をこういうところであまりにさらし者にするのも気が引けるので、
少しだけ紹介したい。
まず、A型のお父さん。
一言でいうと、マイペース。というか天然。
この父の仕事の都合で、わが家はしょっちゅう引っ越しを繰り返してきた。
が、わたしの高校入学を機にそれもできなくなり、
さみしい単身赴任を繰り返すはめになり、
今は仙台で一人暮らしをしている。
でも、単身赴任をしてから、やけに饒舌になった気がする。
明らかに、昔よりいきいきしている。
太極拳を始めたり、果実酒作りに凝ったりしているらしい。
ちなみに、最新作のメロン酒は失敗したと笑っていた。
(メロンがもったいない。)
家に帰ってきて、夜中に酔っ払うと
起きている兄弟3人を相手に何度も同じ話をする。
話す回数が多い話ベスト3のひとつは、
「病気になって管だらけになって死んだり、
ぼけたりして明日香たちに迷惑をかけるのは嫌だから、
死ぬときは自分で死にたい」という話。
しかも、真冬にお酒をたんまり飲んで酔っ払い、
屋根かどこか高いところから、
雪が何メートルも積もっているところにサクッと落ちて、
酔っ払っているからそのまま寝てしまい、
凍死して死ぬという方法。
これは兄弟3人ともなかなかいい案だと認めているが、
そもそもそういうことを真剣に考えて、
何度も話す時点で少しずれている、と
わたしは思っている。
次に、B型のお母さん。
植物が好きで、自分が育てる植物を眺めることがとても幸せらしい。
そこまではいいが、興味がないのに、
延々と植物の特徴や健康状態を説明して、「庭に来て!見て!!」という。
若干、空気が読めない傾向があるので、
めんどくさいオーラを出していても気づかない。
兄弟3人で話し合った結果、
自分たちのように転校という厳しい状況を経験しなくて済んだので、
空気が読めなくともすくすく成長できたんだろう、という結論。
映画のストーリーも読めないので、
見ている途中で「これ、どういうこと?」と聞いてくるのだけは
やめてほしい。
よく友だちに言われるのは、「明るくておもしろいお母さんだね」。
病気のときは、本当にその明るさに救われた。
昔はがみがみ怒られて、
お仕置きで生のたまねぎを丸ごと1コ食べさせられたりしたが、
(今考えると、意味不明。たまねぎが余っていたのだろうか…)
前よりはやわらかくなった気がする。
キレたときは階段を音を立ててのぼったり、ドアを音を立てて閉めたり、と
精神年齢7歳並みの行動をとるが、
他人の悪口を決して言わないところと、
「いやなことは考えてもしょうがない」というポリシーは
見習いたいと思っている。
わたしに関しては、
自分では家族のなかで一番まともだと思っているけど、
そのへんは皆さんの判断にゆだねる。
なので、次に、AB型のいもうと。
AB型だからなのか、なんなのか原因不明だが、
とにかく変人。
小さい頃から、ものすごく頭がいいのだが、
その分、ひねくれてしまったように思われるところが多々見受けられる。
まず、自分だけ家族に愛されていないと思い込んでいる。
わたしは長女だから、
いもうとが生まれたときから見ていてよくわかるのだが、
それは断じて、ない。
わたしと似ず、目がくりくりしていて、
小さいころからかなりかわいがられていた。
一時は本気で家族を憎むほど、その思い込みに付きまとわれていた様子。
そして、自由人。とにかく思考が自由。
大学選びの基準もばらばらすぎてよくわからなかった。
最終的に、かなり偏差値の高い大学をけって、
リーガ・エスパニョーラを見たいという理由だけで、
海外留学が半年必修になっている大学にいって(スペイン語選考)、
スペインから帰ってきたら、
「サッカー見すぎて飽きた。なんであんなにスペイン行きたかったんだろ」
と言った。
今年の夏だけで、メキシコ、カンボジア、ペルーなどの一人旅を含み、
10ヶ所以上旅行に行くと言っていた。
(旅好き、しかもバックパッカーという点では気が合うらしい)
「何度も成田に行くのめんどくさいから、
メキシコから成田に帰国したら、
その日にカンボジアに行けるように日程変更しようかな。
どうせ荷物いっしょだしね」
と、本気で言うほど、ストイックだ。
ちなみに、ひねくれているので、
わたし「マンガ貸して」
いもうと「いいよ」
わたし「どこに置いてある?」
いもうと「明日になったら貸してあげる」
わたし「自分で探すから、場所だけおしえて」
いもうと「明日になったらね」
わたし「今読みたい。おねがい」
いもうと「やだ。絶対だめ」
という理不尽な会話も展開される。やっぱりひねくれている。
でも、次の日になったらちゃんと貸してくれる。
よくわからない。
最後に、B型のおとうと。
5歳も年が離れているので、
小さい頃から、わたしは結構おとうとの面倒を見てきたと思う。
高校受験も大学受験のときも勉強計画をたてて、勉強を教えてあげたし、
今でも大学のレポートを手伝ったりしている。
(単にわたしがおせっかいな上に、
おとうとはそれをしなければそれを一切放棄できる性格であることが由来している。)
そのせいかわからないが、なかなか仲もよい。
このおとうと曰く、いつも学校で
わたしといもうとの名前を出されて「優秀なおねえさんね」
といわれていたのが嫌だったらしく、あまり勉強ができない。
これもおとうと曰く「頭はいいけど、勉強しないから、できない」らしい。
その反動かわからないが、金を稼ぐセンスがある。
高校生のときから、ネットで数百万円稼いでいて、
大学生になった今では、その金を資金源に株を運用している。
だから、わたしのCOACHの財布はおとうとに買ってもらったものだし、
わたしがよく穿いているリーバイスレッドは実はおとうとので、
6,7万くらいするらしい。
(わたしが太っているときに穿きすぎたせいで、
伸びて形が悪くなったからもういらないと言っている。)
いくらお金を持っていても、
趣味の服以外には、ほとんどお金を使わないことは
心底尊敬するが、
いつからか自分を欝だと言い張るようになり、
(家族から見れば、友だちも多いし、
悩みも愚痴も言うし、いたって正常にみえる)
mixiで「死にたい、でも生きたい。」というコミュニティに入っているのは
ちょっと笑えた。
こないだわたしが、
「わたしも病気になってから無気力症候群だし、欝だよ」というと、
「明日香はポジティブな欝だけど、おれはネガティブな欝だから。」
と言っていた。
よくわからない。
少しだけ紹介するつもりだったのに、
ずいぶん長くなってしまった。
でも、最後にひとつだけ声を大にして言いたいのは、
わたしはこういう家族のみんなを結構すきだったりして、
この家族のあいだに生まれてきてよかったと思っていて、
そして、たぶん他の家族も少なからずそう思っているところだ。
なんで急にこんなことを書いたかというと、
ずっと見たかった映画「Little Miss Sunshine 」のDVDを最近やっと見たからだ。
ほんとにすがすがしい映画だった。
わが家以上に、相当風変わりな家族の再生の物語。
独自の成功論を振りかざすが、裏切られ、破産の危機を抱える、父。
家族を嫌って、ニーチェを崇拝し沈黙を守る、兄。
ヘロイン中毒で、下ネタも何でも言いたい放題の、祖父。
失恋が原因で自殺を図った、ゲイの学者の、叔父。
ビューティー・クイーンを夢見る、ぽっちゃり体系の、娘。
そんな家族に疲れ果てつつ、必死でまとめようとする、母。
そんなばらばらの家族6人が、
娘オリーブの「リトル・ミス・サンシャイン」コンテスト出場のために、
カリフォルニアに向かう。
おんぼろでブレーキが利かない、
でもとってもハッピーな黄色の車体を持ったそのワゴンは、
どこかしら社会からはみ出してしまっている部分を抱える家族を
よく象徴している。
だから、彼らがそのワゴンを押しながら発車させる場面は、
ときに励ましたくもなり、
いじらしくもなり、
切なくもなり、
なんともほほえましくもある。
もう何度でも見たいシーンなのだ。
最後の最後に、
彼らが無事ワゴンを発車させて、
走りながら全員ワゴンに乗り込めたとき、
自然に涙が出た。
「ああ、こうやって人生は続いていくんだ」
と思った。
欠点があっても、
多少勘違いしていても、
社会とちょっとずれていても、
何度か失敗しても、
人は自分らしくあるのが一番で、
それさえ大切にしていれば、
人生は前に進んでいくのだ、と。
この映画はそれを、本当にすがすがしい表現で
さりげなく教えてくれる。
正しいこと、勝つこと、成功することが絶対とされる世の中だけど、
間違っていること、負けること、失敗することから
学び、得られる何かもきっといっぱいある。
だから、自分にだけは
うそをつかないで生きていこうと思う。
できれば、家族にもうそをつかないほうが
すてきなのかもしれない。
でも、それはたぶんむりだから、
(もうすでにたくさんのうそをついてきた気がする)
とにかく家族を大切にしたい。
最後に、もう一度だけ言うが、
わたしは自分の家族が
結構すきです。]]> ほどく。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=233 2007-08-03T19:09:22+09:00 2007-08-03T13:00:34Z 2007-08-03T10:09:22Z 前から不思議に思っていることがある。
なんでヘッドフォンはいつも
いつのまにか絡まってしまうんだろう。
バッグの中に入れたり、机の中に置いておいたりすると、
絶対と言っていいほど必ず、
ヘッドフォンに結び目がついている。
絡まらないように、
機体に... asuka a view of movie
なんでヘッドフォンはいつも
いつのまにか絡まってしまうんだろう。
バッグの中に入れたり、机の中に置いておいたりすると、
絶対と言っていいほど必ず、
ヘッドフォンに結び目がついている。
絡まらないように、
機体にぐるぐる巻きつけておいてもだめなのだ。
今日はとくにひどかった。
2,3ヶ所結び目がついていて
わけがわからないことになっている。
麻痺のせいで、
わたしの左手の親指と人差し指は
素直にいうことを聞かないので、
こうゆうときは本当に腹が立つ。
がんじがらめ、だ。
でも、いつのまにか理不尽に絡まったヘッドフォンも、
素直にいうことを聞かない左手の指も、
投げ出さずに
地道にゆっくりほどいていけば、
いつか元どおりになることを、
わたしは知っている。
そして、そうやってほどいたヘッドフォンで聞く音は
絡まったままで聞くヘッドフォンより、
いい音がする錯覚に陥ってしまうことさえある。
ヘッドフォンならまだいいけれど、
人は自分でも気づかないうちに、
(だから、それはときに理不尽と訳される)
ネガティブなことにがんじがらめになっていることがある。
それが、会社や学校での人間関係についてだったりするなら、
まだ抜け出す方法はおおいにあるように思う。
でも、それが生まれたときから背負っているもの
−例えば、肌の色や人種や、親の信条などを含む環境−
だったら、どうだろう。
生まれ持って背負っているその絡まりは、
きっと成長するにつれて
さらに深く絡まってゆく。
実話に基づく映画「フリーダム・ライターズ 」を見た。
舞台は1994年、ロス暴動直後のロサンゼルス郊外。
わたし達には想像もできないようなものに
がんじがらめにされている、ウィルソン公立高校の生徒たち。
低所得者の多いこの地域では貧困による憎悪と犯罪がうずまき、
生徒たちは人種ごとに対立し、いがみ合っている。
白人、黒人、ラティーノ、東洋人…。
抱えている問題が大きすぎて、
きっと彼らは、
自分が果たして何にがんじがらめになっているのかも
わかっていない。
だが、エリンという新米の女教師が
彼らに変化の糧を与えていく。
それは、自分を見つめなおす1冊の日記帳、
そして、教育。
彼らは彼女に出会えたことで、
自分のしがらみを少しずつほどいていく・・・。
この映画は、ひとりのすばらしい教師が
生徒たちを変えていく話だと捉われがちだが、
実際はそうではないのではないかと思う。
教師と生徒が“ともに変わっていく”話だと思う。
“変化”というものが人に訪れるとき、
そこにあるのは
「(誰かを)変えた」とか「(誰かに)変えられた」という概念とは
少しちがうように思う。
そこにあるのは「変わる」という自動態である。
受動態では決してない。
変化するとき、
人は必ず何かしらに
きっかけや影響を受けていると思う。
それは、ある事柄であったり、人であったりさまざまだ。
でも、そこには、
「変わる」自分が常にいる。
「変わりたい」「変わろう」という“意志”がある。
それがなければ、“変化”はありえないのだ。
だから、この映画で描かれている話がすごいのは、
困難な状況にある生徒たちが
「変わろう」という意志を持っていたことだと思う。
それを引き出したエレン先生も、
そんな彼らから何かを得て、変化していると思う。
変化の相互作用は涙がでる。
一歩踏み出すことが、
ときにものすごく困難なことがある。
とくに、絡まりに絡まったしがらみなら
なおさらだ。
でも、「変わろう」という意志を
持ち続けられる自分でいたい。
そう思った。
『シーソーは、下におちる瞬間より
上にあがる瞬間の方がおもしろい、とあたしは思う。
上にあがるときは
自分で地面を蹴るけれど、
下におちるときは
なんにもしないでおちちゃうから。』
江國香織 「神様のボート」より。 ]]> 虹くらげ。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=228 2007-07-04T21:40:11+09:00 2007-07-23T09:00:39Z 2007-07-04T12:40:11Z 雨が降っている。
ただそれだけなのに、
雨は街の表情をがらりと変える。
@表参道。
たばことコーヒーを片手に
表参道に面したカフェの2Fから、
道ゆく人を眺める。
カサ、カサ、カサ・・・。
人がカサに隠れて、表参道はカサで溢れかえっている。
カサがふ... asuka a view of today
ただそれだけなのに、
雨は街の表情をがらりと変える。
@表参道。
たばことコーヒーを片手に
表参道に面したカフェの2Fから、
道ゆく人を眺める。
カサ、カサ、カサ・・・。
人がカサに隠れて、表参道はカサで溢れかえっている。
カサがふわふわ浮いていて、
ゆっくりゆっくり動く。
なんだかくらげに見えてきた。
どんどんテクノロジーは進歩して、
いまや携帯でテレビも見られる。
ナビの声に耳を澄ませば、
車はどこでも正しい場所に着く。
耳につながっているi-pod nanoは、
2000曲もの音楽でわたしを飽きさせない。
どんどんデザインは進化して、
街にはさまざまな色と形で溢れている。
すぐ近くには安藤忠雄のデザインした表参道ヒルズ。
落ち着けるかどうかは別として、
ちょっと気の利いたおしゃれなカフェなんて、
腐るほどある。
そんな中で、
カサはずっと前からそのままで、
シンプルな形を保ち続けてきた。
しかもくらげに見えるのは、
値段も安い透明ガサが圧倒的に多いのも
その一因だろう。
人間は、案外くらげみたいなものかもしれない。
不安定で、ときには人も刺して、
弱くて、ふわふわしている。
でも、海の中を漂うそれは、
ときに驚くほど美しかったりする。
とにもかくにも、
少なくとも、ここから見るカサを差して歩く人たちは
くらげみたいに見える。
でも、わたしがカフェでひとりでこんなくだらないことを
色々考えているように、
くらげみたいに、あのカサを差して歩くひとりひとりにも、
色んな感情があるんだな。
そして、それがくらげを動かしている。
そう思うと、くらげたちが妙にいとおしく思えた。
話は変わるが、
わたしの左腕は、少し触れるだけで痛む。
雨のしずくがカサをうまくよけて、
左腕に当たるだけで、
声を上げてしまうくらい痛かったりする。
だから、人ごみや電車の中では
特に他人が憎かった。
退院したてで、鞭打ちの人がよくやっている、
カーラーを首につけていても、
電車の中で、今まで誰一人として、
席を譲ってくれる人はいなかった。
それどころか、自分は席に座りながらも、
立っているわたしの首や全身を
じろじろと意地悪く眺め回す人もいた。
人はほんとに冷たいなって何度も思った。
最近は一見、見た目には麻痺が目立たず、
普通の人と変わらない。
でも、ちょっと触れられただけでも痛い左腕や、
すぐに膝が折れる左足は、
電車が堪える。
やたらと他人を押しのけて電車を降りていくおじさんに悲鳴を上げ、
いっそのこと、左手にガムテープでも貼って、
「麻痺してるので触らないでください」
と書いておこうとまで思うのは、
一度や二度ではない。
でも、つい最近、生まれて初めて
席を替わってくれた人が、ふいにあらわれた。
しかも、わたしの前の席ではなく、
その3人くらいとなりの人。
「おじょうさん、こっちに来て座りなさい。」
と声を掛けられたとき
予想外すぎて、一瞬声が出なかった。
普通に見えるであろう、わたしの動きのどこで異常を察して、
心配してくれたのだろうか。
肉親か誰かに、わたしのような症状の人がいるのだろうか。
素直に好意に甘えて、座席に座ってから、
なんだか胸がいっぱいになってしまった。
わたしが先に降りることになって、
少し離れたところに立っていたその人に、
何度もお礼を言って降りた。
その人が、なんでわたしに席を替わろうと思ってくれたのか、
理由はまったくわからない。
だけど、ひとつだけ、
わかったことがある。
経験の分だけ、
視点が増えて、
その分、他人を思いやれるようになるのなら、
つらい経験も悲しい経験も、
決してマイナスではないということ。
もう何度も言っているけど、
“no rain, no rainbow”ということばが好きだ。
これはただ、「やなことの後にはいいことがある」
という意味以上のことばなんじゃないかって、
初めて気づいた。
雨はやがて上がり、晴れる。
でも、ただ晴れではなく“rainbow”である理由。
それは、雨なしでは絶対に見れない虹のように、
つらい経験や悲しい経験によって、
それがなければ、
絶対に見られないもの、感じられないものを
得られることを示唆しているのではないか。
七色の虹のように、
さまざまな経験によって、
少しずつ視点が増えて、
人生がより豊かになる。
そう思ったら、
このことばが前以上に好きになった。
そんなことを考えた、
雨の日の表参道。
やっぱり雨は、
恵みの雨です。
なんか変な虹です。
不気味なので送りました。
うそ。
きれいなので送ります。
少し前に見た、映画『虹の女神』 より。 ]]> 空缶。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=227 2007-06-27T23:55:31+09:00 2007-06-27T15:15:38Z 2007-06-27T14:55:31Z “たまらなく好きなもの”って誰にでもあると思う。
ただ、それがあるだけで、
とてもしあわせな気持ちになれるもの。
わたしは「はちみつ&ゆずジュース」がたまらなく好きだ。
もう冷蔵庫の中にやつが構えているだけで、
それが冷蔵庫を開ける度に見えるだけで、... asuka a view of today
ただ、それがあるだけで、
とてもしあわせな気持ちになれるもの。
わたしは「はちみつ&ゆずジュース」がたまらなく好きだ。
もう冷蔵庫の中にやつが構えているだけで、
それが冷蔵庫を開ける度に見えるだけで、
なんだかとてつもなくしあわせな気分になってしまう。
そこいらじゃ売ってないそれは、
なんと大分から贈ってもらっている。
最初に30缶もやつが入った、その段ボールが届いたのは
去年の誕生日あたり。
「あすかが絶対に好きだと思うから。」
ただそう言われて、何が来るかとどきどきして待っていたら、
予想外の大きさで、
宅急便のおにいさんから預かった段ボールのその重さに
びっくりした覚えがある。
しかも、開けたら缶ジュース30缶。
思わず笑ってしまった。
でも、わたしは“はちみつ&ゆず”のキーワードにめっぽう弱い。
サンマルクカフェのゆずちゃもだいすきだ。
あっさり忘れてしまいそうなそんなささいなことを、
友だちが覚えててくれたのがうれしかった。
そして、冷やして飲んでみたら、さらにびっくり。
今まで飲んだ中で、ダントツ一番のはちみつゆずジュース。
腫瘍が見つかって、中目黒の家で1ヶ月入院待ちをしている間に
それはあっという間になくなってしまった。
不安で眠れないときも、
そのジュースには何度も助けられた。
そしたら、今度は、入院中に
わたしの実家宛てにまた送ってくれた。
うちの冷蔵庫で冷やしたやつを、
何本かずつ母が持ってきてくれる度、
それをリハビリの合間や、寝る前に飲む度、
いつもちょっとだけ元気になった。
あまりにおいしくて、
いつまでも名残惜しくて、
退院してからも、ラスト1本を数ヶ月冷蔵庫においておいた。
それをふざけて友だちに言ったら、
また今年の春、やつが30缶我が家に届いた。
ずっと取っておいたラスト1本がぎんぎんに冷えて、
最高においしかった。
そういうわけで、また今、やつによって、
わたしはしあわせな毎日を過ごしている。
わたしは毎日、麻痺が少し残っている足のリハビリのために
近くの大きな公園を散歩している。
そんなとき、必要不可欠なのが
i-podとこの「はちみつ&ゆずジュース」。
休憩のベンチでいつもこれを開けて、
音楽に浸りながら、
たばこを吸うのが、
たまらない。
そして、この日課で発見したことがある。
缶と空はつながっている。
わたしは腫瘍の手術をしたときに、
首の骨を半分にパカッと切った。
それで、今はチタンボルトとやらが入って
わたしの首の骨を繋いでいる。
だから、前は首を上下や左右に動かすのが
痛かったし、こわかった。
でも、缶ジュースを飲むためには、
首を上げなければいけない。
そして、そうすると必ず飛び込んでくるもの。
空。
きっと缶を開発した人は、
飲み終わりに空を見るように缶を作ったのだと思う。
飲み干すためには、
どうしても上を見上げなければいけないつくりに。
だから、飲み終わった缶は
空き缶。
やっぱり空につながっている。
どうがんばっても、
少しだけ残ってしまう中身は、
なんだかとてももどかしくて、
でも、それが何かを示唆しているような気さえする。
次につながる何か。
それが、なんだかとても大事なものに思えたりする。
今日は暑くて、
やつも汗をかいていた。
かわいかった。
缶と空の関係性。
こういうささいな必然性が
なんだかとてもいとおしく思う最近。
そうだ、わたしの真上のこの空は
大分の空ともつながっている。
べっきー、ありがとう。]]> 絵描きのはなし。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=232 2007-06-25T19:05:11+09:00 2007-07-12T08:31:37Z 2007-06-25T10:05:11Z 休職兼リハビリ期間も、
気づいたら8ヶ月にもなった。
先月、映画のレビューを更新するのと同時に、
入院のときにつけていたノートを元に、
日々うじうじ考えていたあれこれも
まとめて更新し始めた。
(混乱するから、
あえて日付は、そのときのものにしてあ... asuka info
気づいたら8ヶ月にもなった。
先月、映画のレビューを更新するのと同時に、
入院のときにつけていたノートを元に、
日々うじうじ考えていたあれこれも
まとめて更新し始めた。
(混乱するから、
あえて日付は、そのときのものにしてある。
9/28分 からがそうかな。)
麻痺のせいにして、
いろんなできないことに理由をつけるのは
あんまりしたくない。
だけど、最近のわたしは、
そういういやな自分になりつつある。
だから、気持ちを整理することも、書くことも、
だいぶ長い間してこなかった。
何かを始めるときに必要なのは勢いだ、と
今でもわたしは信じている。
そんなときに、何か気持ちが引っかかってるのはいやだから、
そのときのためにも、
わたしにとってはなかなかでっかい経験だった、
病気のことをちゃんと記しておこうと思う。
左手もPCを打っていればいいリハビリになるし。
そういうわけで、
これからは、もうちょっとだけちゃんと
このBLOGを書きます。
たぶん、病気のこともまだまだ書きたいので、
10月とか11月分の記事も
これから少しずつ増えるかもしれない。
それと同時に、
時間があるのをいいことに、
本や映画だけは、大量にinputしているので、
(しあわなことだね)
そういう日々のことも書いていこう。
※いきなり更新しだしたら、
友だちがびっくりしていたので、
ゆるいinfoでした。
※あ、ついでにもうひとつinfo。
右上のwindowはyou-tubeとリンクしてて、
そのときの気分に合わせて好きなうたとか入れてるから
よかったらみてみてくださいな。
さいごに。
またまた、魔女の宅急便より。
絵描きのウルスラが
こんなことを言っていました。
(たしかね。)
『魔法も絵に似てるんだね。
わたしも描けなくなるときあるよ。
そうゆう時はじたばたするしかないよ。
描いて描いて、描きまくる。
(それでもだめだったら?byキキ)
描くのをやめる。
そしたら、ある時急に描きたくなる。』
ウルスラにとっての絵のように、
文章がわたしにとってそんな大それたものであるような気は
あんまりしないけど、
なにかが変わるきっかけになればいいな。]]> 追記。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=231 2007-06-25T00:33:25+09:00 2007-06-24T15:35:15Z 2007-06-24T15:33:25Z ノマディック美術館に行った数日後、
リハビリに近所の大きな公園を歩いていた。
その日はやけに暑くて、
鳥がたくさんいる池が見えるベンチで休憩していると、
変な光景を見た。
空の首輪がついた犬用のひもを
引っ張るおじさんが歩いてきた。
首輪の金具がコ... asuka a view of today
リハビリに近所の大きな公園を歩いていた。
その日はやけに暑くて、
鳥がたくさんいる池が見えるベンチで休憩していると、
変な光景を見た。
空の首輪がついた犬用のひもを
引っ張るおじさんが歩いてきた。
首輪の金具がコンクリートにあたって、
カラカラ言っている。
少し妙な色のコーディネートの服を着ていたし、
少し頭がおかしい人なのかな、と思った。
そのおじさんが通り過ぎて行ってしまった後しばらくして、
犬が走って来て、
突然わたしに飛びついてきた。
かわいい犬で、やけになつっこく、
少々戸惑いながらも、なでていると、
さっきの妙なおじさんが走って戻ってきた。
「わあ!!
やけにひもが軽いと思ったら、首輪が外れてた!
ほんとにすんません、すんません!!」
その真剣な様子が妙におかしくて、
思わず吹き出しそうになった。
「わあ!!」と驚く前に、
さすがに犬の首輪が外れたら、
その瞬間の感触の変化で気づくだろう。
そんなわたしの疑問なんてまったく気にせず、
おじさんは
「おまえ!どうやって外したんだ。まったく。
困ったやつだなあ」
と、犬にあわてて首輪をつけていた。
犬はというと、うれしそうに、おじさんに飛びついていた。
そのおじさんが、
その後何度も恐縮してわたしに謝りながら
犬と仲良く去っていった後、
わたしは妙に納得した。
人間と動物の関係は、
これでもいいと思った。
こんな滑稽な関係性でいいのではないか、と。
宮崎駿の「魔女の宅急便」で、
キキの魔法の力が弱くなっていくのと同時に、
キキはあんなに仲が良かったジジのことばがわからなくなった。
その状況は、キキが前と同じように、
いや、前以上に空を飛べるようになった後も
結局変わらなかった。
あれは結局、キキの魔法に対する迷いのせいなのか、
ジジに恋人ができたからなのか、
よくわからないけど、
それでも、変わらず
キキはずっとジジといっしょにいる。
それでいい。
どんなに滑稽でも、
わたし達はわたし達のやり方で、
動物と、あるいはそれ以外のもっと大きなものと、
共存していけばいいんんじゃないかなあ。
【前回の“ashes and sonw”の感想 のつづきでした。】]]> 隔たり。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=230 2007-06-24T23:01:31+09:00 2007-06-24T15:04:55Z 2007-06-24T14:01:31Z 彼の作品には、どれも妙な威厳がある。
そして、とても一言では言い表わせないほど、
“うつくしい”。
きっと、この1枚を、この一瞬を切り取るための膨大な膨大な時間が
作品に計り知れない重量感を持たせているのだと思う。
お台場のノマディック美術館、
... asuka a view of art
そして、とても一言では言い表わせないほど、
“うつくしい”。
きっと、この1枚を、この一瞬を切り取るための膨大な膨大な時間が
作品に計り知れない重量感を持たせているのだと思う。
お台場のノマディック美術館、
グレゴリー・コルベールの“ashes and snow”に行った。
ちょうど今日までやっていたその移動美術館に、
妹といっしょに足を運んだのはもう2週間ほど前。
象と少年。
チーターと少年。
オラウータンと女性。
動物と人間による、無言の壮大なコミュニケーションが
写真・映像・小説・空間によって
余すことなく表現されている。
でも、artとしての完成度の高さに圧巻される一方で、
最初から最後まで、ずっと妙な違和感がつきまとっていた。
心の裏がざらざらとする感じ。
この美しい写真たちに、からだの奥が拒否反応を起こしていた。
この美術館の感想は多くの友人からも聞いた。
涙が出た、という友だちもいた。
グレゴリーが伝えたいテーマに共鳴できないなんて、
きっと自分がひどく汚れているからかもしれない。
そんな考えも浮かんだが、あえてはっきり感想を言う。
どうしても、作品の中の人間と動物の関係性が嘘くさい。
少なくともわたしは、
人間と動物の関係性はこんなに美しくないと思う。
人間と動物の距離は、もっと遠く離れてしまった。
とても、かなしいけれど。
だから、わたしはこの美しい空間の中で、
なんだかずっとかなしかった。
人は、チーターが隣にいたら、
目をつむってじっとしていることなんてできない。
ハイエナの群れが牙をむいていたら、
踊ろうなんて絶対に考えない。
壮大な自然の中で、動物と対峙したら
人間のとる行動は、きっともっと滑稽だ。
それは、はるか昔から
動物を、食物として、あるいは鑑賞物として、あるいは宝飾物として、
人間より下位の生き物と認識してきた、
人間の業なのではないか。
でも、何かを感じ、考えさせることが、
artのひとつの定義だとしたら、
グレゴリーはやっぱりすごい。
画面いっぱいに、ただ上から
オラウータンの片うでが垂れている映像があった。
その腕はゆっくり揺れていた。
その映像は、次に
同じ構図で人の手を映した。
人の手もゆっくり揺れていた。
でも、人の手は美しすぎて、なんだか悲しかった。
ラオスを旅していて、乗り合いトラックに乗ったとき、
となりに座っていた現地のおばさんに、
わたしの手をなでられながら
「きれいな手ね」と言われて、
とても悲しかったのを思い出した。
おばさんの手は、農作業のせいかとても荒れていた。
そのときと同じくらい、ひどく悲しかった。
人は賢くなった。
この手で、色々なものを生み出してきた。
でも、同時に
この手で、様々なものを遠ざけてきたのかもしれない。
この手は、人も動物も地球も殺せる。
女の人が肩に、オラウータンをのせて
古い本を読んでいる映像もあった。
オラウータンに本なんて読ませないで欲しかった。
違和感は今でもつきまとうけど、
この作品の中に映し撮られているように、
一瞬でも動物と交じり合うことができたら、
きっとすごく幸せだろう。
それは、なんとなくわかるから、
だから、見てよかった。
]]> 違和感。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=223 2007-05-20T23:10:18+09:00 2007-05-20T14:37:21Z 2007-05-20T14:10:18Z 脊髄腫瘍になってから、
他人との間に距離感を感じるようになった。
「元気じゃん」と言われるたびに、
ざらざらした、明らかな違和感が押し寄せる。
彼らが本当に心配してくれていただろうことはよくわかる。
その気持ちはほんとにうれしかったし、
そうゆう応... asuka a view of movie
他人との間に距離感を感じるようになった。
「元気じゃん」と言われるたびに、
ざらざらした、明らかな違和感が押し寄せる。
彼らが本当に心配してくれていただろうことはよくわかる。
その気持ちはほんとにうれしかったし、
そうゆう応援に何度救われたかわからない。
心底感謝している。
でも、見た目が元気になると同時に、
見えない麻痺や痺れや痛みが、
どんどん他人との壁を厚くする。
痛いのに。
痺れてるのに。
動きづらいのに。
なんでわかってくれないんだろう。
ハンディが残っているのに、
それを理解してもらえない。
同情してほしいわけじゃない。
ただ、わかってくれればいいのに。
苦しかった。
それなら、もっとわかりやすく
大きなハンディが残った方がよかったなんて
本当に馬鹿なことを考えたこともある。
でも、病気と向き合った時間と比例して、
すごく大きな大前提に気づき始めた。
「自分と他人は圧倒的に違うこと。」
それはネガティブな意味ではない。
他人の苦しみを、悲しみを、喜びを、怒りを、
100%完璧にわかることなど絶対に不可能なのだ。
だからこそ、人は孤独を感じる。
でも、だからこそ、人は「分かり合いたい」と
思うのだろう。
そして、大事なことは、
わたし達は、たった一部でも、ほんの一瞬でも、
同じ想いを共感・共有できるときの
大きな大きな幸せを知っている。
ずっと見たかった「BABEL」 を見た。
イニャリトゥ監督は「アモーレ・スペロス」「21g」ともに
大好きな監督だ。
彼が生まれ育ったメキシコを、
わたしもとても好きだという単純な理由だけではない。
彼の映画は、いつもとても秀逸だと思う。
彼は、映画の持つ力をよくわかっていて、
それを最大限に利用して、
とても大きなテーマを“表現”している。
ある友だちが卒論で、
写真は“点”で、映画は“線”だという論を展開していた。
映画のできた歴史から考えても、
映画が持つストーリー性からみても、
それは明らかだろう。
イニャリトゥ監督の映画を見ると、
その映画の力がよくわかる。
時間軸・空間軸を微妙にずらしながら、
複雑なストーリーを絶妙に展開していく。
そして、圧倒的な個性を持った映像と音楽の力。
そして、何よりタイトルに象徴されるような大きなテーマを
作品の主軸に選んでいることに、
映画の力を理解していることがよくわかる。
この映画の宣伝で流れる文章を引用する。
『神よ、これが天罰か。
言葉が通じない。心も伝わらない。想いはどこにも届かない。
かつて神の怒りに触れ、言葉を分かたれた人間たち。
我々バベルの末裔は、永遠にわかり合う事ができないのか?
モロッコの片隅で偶然放たれた一発の銃弾が
アメリカ、メキシコ、日本の孤独な魂をつなぎ合わせてゆく。
耳を澄ませば聞こえてくるはずだ。
初めて世界に響く、魂の声が。
2007年、世界はまだ変えられる。』
彼は作品の中で、無駄な“ことば”を使わない。
菊地凛子が演じる聾唖の女子高生チエコが、
理解してほしいと求めた刑事に渡した手紙の内容が
観客に示されなかったことが、
それをよく象徴していると思う。
旧約聖書にあるように、
人間は神に“ことば”を乱されたのかもしれない。
“ことば”は、人と人がわかり合うのに必要不可欠だ。
でも、逆に“ことば”が人と人がわかり合うことを邪魔することもある。
あえて、必要以上に“ことば”を見せないことで、
観客に考えさせる。
イニャリトゥ監督の作品は、そんな作品だ。
映画には、色々な種類があって、
ハリウッド映画のように、エンタテイメントとして、
観客を楽しませたり、興奮することを目的としていたり、
泣かせることを目的としていたりする作品もある。
そして、そんな作品には、明確にメッセージや答えがある。
観客はそれに納得したつもりになって、すっきりして帰る。
でも、イニャリトゥ監督の作品はそうではない。
感じさせる。考えさせる。
「BABEL」のラストシーンには、かすかな希望があるけれど、
そこから何を感じるかは、観客に任せている。
それが、本当の映画だ、とわたしは思う。
そして、もっとわたしたちは
“考えなければいけない”のではないか、とも思う。
差し出された答えに納得していただけでは、
本当の孤独は埋まらない。
答えを提示されることに慣れてしまうのは、
とても危険だ。
なぜなら、
自分と他人は、圧倒的に違うから。
でも、分かり合いたい。共感したい。
そして、わたしたちは
違いを乗り越えて分かり合えたときの
大きな喜びを知っている。
こうして、このタイミングで、
この映画に出会えたことを
とても、幸せだと思う。
そして、やっぱり思ったこと。
わたしもいつか映画が撮りたい。
]]> 厄介な世界。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=224 2007-05-20T22:15:02+09:00 2007-05-20T17:27:14Z 2007-05-20T13:15:02Z 世界はつくづくやっかいだな。
長いエンドロールを見ながら、
吉岡忍が「放熱の行方」に書いていた言葉を改めて思い出す。
『社会とか、世界というもののいちばんやっかいなところは、
見えないところがあまりにも多いことだ、というのが私の考えてある。
私... asuka a view of movie
長いエンドロールを見ながら、
吉岡忍が「放熱の行方」に書いていた言葉を改めて思い出す。
『社会とか、世界というもののいちばんやっかいなところは、
見えないところがあまりにも多いことだ、というのが私の考えてある。
私たちが見たり、知ることができることなどは、
ほんのわずかにすぎない。』
見えないのに、わたし達が思っている以上に、
世界は繋がっているのだ。
わたし達が婚約指輪でもらって喜ぶダイヤモンドにも、
わたしがまったく知らなかった衝撃の事実があった。
妹も、映画の趣味が合う友人も薦めていた
「BLOOD DIAMOND」 をついに見た。
舞台は、内戦下のアフリカ、シエラレオネ共和国。
アフリカ、内戦…。
ニュースや新聞でよく見慣れたそれらのキーワードは、
悲惨だろうという想像はできるけれど、
わたし達とは遠くかけ離れたキーワードのように聞こえる。
けれど、それらの地域の武装勢力は、
どうやって必要な武器や兵器を調達しているかを知ると、
そんなことは言っていられない。
武装勢力は、その支配地域で採取した資源を
市場に流すことで、
重要な資金源を得ている。
その資源とは、アフリカでは象牙、石油、ゴールドなどであり、
そして、この映画に出てくる「紛争ダイヤモンド(ブラッド・ダイヤモンド)」である。
そして、不正なダイヤモンドを巡り、
紛争、強制労働、難民、子ども兵…という
重大な社会問題が連鎖していく。
映画上では、
元傭兵のダイヤ密売人にレオナルド・ディカプリオ、
家族を愛する漁師役にアフリカ出身のジャイモン・フンスー、
やり手のジャーナリストにジェニファー・コネリーが扮し、
それぞれ幻のピンク・ダイヤモンドに、
「自由」「家族」「真実」という異なる願いを求めて、
ストーリーが展開していく。
エンタテイメントの形でメッセージを伝える。
映画の意義をもうひとつ思い知らされた。
誰が正しくて、誰が間違っているか判別して、
悪を一掃すれば済む問題ではないことが、
2時間半の作品を通して、重くのしかかってくる。
それぞれに、それぞれの背景があり、
守るものがあり、望みがある。
この映画の中でも、
特に、ディカプリオが演じるダニーの変化は素晴らしい。
人にはいくつもの面があって、
人と人が向き合うことで
変わる要素があるんだって気づかされる。
それでは、何が人を狂わせるのだろうか。
わからないことばかりだ。
だけど、「知らない。わからない。関係ない。」
とは、言えない現実がそこにはある。
なぜなら、ダイヤモンドを喜んで買うわたし達先進国の消費者が、
ダイヤモンド紛争を加速させ、
どこかで人が殺され、
どこかで親と子が引き離され、
どこかで人を奴隷にさせる、一端を担っているからだ。
わたしがこの映画から学ぶことはなんだろう。
ひとつは、この映画を見て初めて知った
「キンバリー・プロセス」 だろう。
キンバリー・プロセスとは、
非合法なダイアモンド取引を世界から一掃することを目的として、
ダイアモンドが国境を越える際には、
紛争とは関わりのない地域から採掘された石である事を政府が認定する
キンバリー・プロセス証明書を添え、
不正に開封できない容器を使用する事が定められている。
同時に、輸出はキンバリー・プロセス加盟国にだけ許可される。
この存在を知ることも、
消費者としては重要な義務だろう。
もう一度だけ、吉岡忍の言葉を借りる。
『難民たちが自分のことしか考えないばらばらの集合と言うなら、
日本も世界もみんなそうではないか。
日本も世界も、ますますそうなっていくだろう。
そこでかろうじてつながることができる道筋を考えていくことが、
私たち一人ひとりにとっての社会的営為というものだ。
旗を振ったりスローガンを叫んだりする前に、
脈略もなく散らばった現実をもっと深く認識し、
そこから何ができるかを考えたほうがよい、と私は思っていた。』
わからないことばかりの中で、
ひとつだけ忘れてはならない気持ち。
人間が人間を狂わせ、悲しませる連鎖は
絶対に間違っている。]]> 逃亡。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=226 2006-10-19T22:00:17+09:00 2007-05-22T17:33:51Z 2006-10-19T13:00:17Z 病院の朝は早い。
6時に放送が流れて、
看護婦さんが血圧や体温を測りに来る。
カーテンが開けられて、
窓側のベッドのわたしは、
朝日がやけにまぶしくて、
目を細めながら、現実と夢の間をいつもまどろむ。
看護婦さんが帰ったあと、
同じ病室のふたりはい... asuka a view of my illness
6時に放送が流れて、
看護婦さんが血圧や体温を測りに来る。
カーテンが開けられて、
窓側のベッドのわたしは、
朝日がやけにまぶしくて、
目を細めながら、現実と夢の間をいつもまどろむ。
看護婦さんが帰ったあと、
同じ病室のふたりはいつも、
「逃亡してきまーす」と行って出かけていく。
そんなときのふたりは
点滴をしていても、病人とは思えないほど
とても明るい。
朝ごはんの後や、
昼ごはんの後、
消灯前の時間に、
彼女らはこぞって逃亡する。
そして、帰ってきたときの顔はもっと明るい。
逃亡とは、たばこのことである。
看護婦さんに車いすで運んでもらわないと
何もできなかったわたしは、
そんなふたりをいつもうらやましく思っていた。
大好きだったたばこを吸いたいという気持ちよりは、
その「逃亡」という行為がなんかいいなと思っていた。
遅刻して学校に行くときの
なんだかよくわからない優越感のような。
仕事中、打ち合わせと打ち合わせの合間の隙間時間に
カフェに入ってお茶を飲むときのような
ちょっと後ろめたさがある、
でも安らげる一瞬の休息のような。
だから、点滴棒などを頼りに
なんとかひとりで歩けるようになったときは、
ひそかに逃亡の誘いを待った。
「いいなぁ。わたしも吸いたいな〜」
逃亡から帰ってきてすがすがしいふたりに
ぼそっとつぶやいてみたりして、
ふたりが「吸っちゃえば?」というのを待っていた。
抜糸も済んで、
だいぶわたしのリハビリが進んできた頃、
ふたりがようやく言ってくれた。
「明日香ちゃんも逃亡する?」
あのときは、うれしかったなぁ。
3人で向かった、病院の外にある喫煙所には、
人がいつも溜まっていて、
みんな明るくて、
すぐ仲良くなった。
みんなはそんな自分たちのことを
不良仲間と言っている。
いろんな科の入院患者がいるから、
いろんな病気にくわしくなった。
医療系の情報番組やドラマは
なぜかみんな欠かさず見ていて、
次の日必ずそのテレビ番組の話になる。
「この病院にコトー先生がいればなぁ‥」とか、
「進藤先生がいればもっと悪くなる前に気づいたのに‥」とか
ドラマの世界に浸って、ふざけたことを言っている。
手術前だったり、
再発して再入院になったりして、
ナーバスな人がいると、
みんなで脅していじめたりするけれど、
病室に戻るときには、
みんな絶対笑顔になっている。
病気の分だけ、
つらい分だけ、
その分、みんなやさしかった。
病の経験は人をやさしく、
大きくするのかもしれない。
わたしは最後まで年上のみんなに
甘えてばかりだった。
コーヒーやらお菓子やら、いろんなものをおごってもらった。
泣き言もいっぱい聞いてもらった。
病室から喫煙所という、
短い、ささいな逃亡が、
わたしをいつも真っ暗なトンネルから
引っ張り出してくれた。
ありがとう。]]> 母。-part2- http://flavor813.jugem.cc/?eid=221 2006-10-18T00:00:33+09:00 2007-05-22T10:01:22Z 2006-10-17T15:00:33Z 「明日香さん。」
そう言って、病室のカーテン越しに優しい顔が見えた。
あのときの光景は、今でもよく覚えている。
誰か分からないけど、
一瞬で、とても近しく、あたたかく感じた。
「●●の母です。」
そう聞いたとたん、何も話してないのに
すべてわかった... asuka a view of my illness
そう言って、病室のカーテン越しに優しい顔が見えた。
あのときの光景は、今でもよく覚えている。
誰か分からないけど、
一瞬で、とても近しく、あたたかく感じた。
「●●の母です。」
そう聞いたとたん、何も話してないのに
すべてわかった気がした。
「明日香さんの話を聞いて、どうしてもお見舞いに行きたくて、
病院がよくわからなかったので電話して聞いたんだけど、
プライバシーだから答えられませんといわれて。
でも、どうしてもお見舞いに行きたいって言ったら、
『(わたしは)入院されているようです』って微妙に教えてくれて…。
確証がなかったから主人とも相談したんだけど、
わたしはどうしても行きたくて、来てしまいました。」
お母さんはそう言ってくれた。
友だちに雰囲気がとてもよく似ている。
そして、
「本当に大変だったね。かわいそうに。」
と、わたしのために泣いてくれた。
初めて会ったというのに、
わたしのことを思って、
こんな風に涙を流してくれるなんて。
そう思ったら、本当にうれしくて、
泣きそうになった。
病気になったとき、
真っ先に話を聞いてほしかった友だちは
アメリカでとても頑張っている。
メールでも、スカイプでも、
くじけそうなとき、何度も支えになってもらった。
何より存在自体が支えだったように思う。
脊髄腫瘍がわかったときに連絡をした後、
彼女から来たメールは今でも忘れられない。
『今は明日香に言いたいことが沢山あって、
例えば、仕事を早く切り上げてもっと早く病院行くべきだった、とか
無理して他人の仕事引き受けるんじゃない、とか
いっぱいいっぱいある。
でも、そういうことは今言ってあげても何の意味もなくて
私は明日香の状況を身近で聞いていて知っていたはずなのに
なんでもっと強くそういうこと言わなかったんだろう、って
沢山後悔してる。
明日香は負けず嫌いで頑張りやだから、そして
頑張ってきちんと結果を出すことに喜ぶ人だから
仕事に関して私がとやかく言うことは出来なかった。
でも、もしかしたら、明日香は気持ちのどこかで
誰かに強く止めてもらいたい、みたいな
愚痴を聞いて欲しい、ストレス発散に付き合って欲しいって
沢山サインを送ってくれてたのかもしれない、って今更思う。
でも私はそういうことにこれまで気付いてこれなかったんだと思う。
大事な友達がこんな状態になるまで、
何一つしてあげられなくて、ごめんね。』
無茶な働き方をしていた自分を、
初めてこころから悔やんだのはこのときだったと思う。
大事な友だちにそんなことを思わせてしまうのは、
本当に罪だと思った。
悲しかった。
わたしはわたしの意志でこんな働き方をしていた。
でも、わたしはひとりでは決して生きていけない。
だから、自分がよければそれでいい。
そういう問題じゃないんだ。
心底、そう思った。
そして、そんな友だちを持てたことを改めて幸せに思った。
だから、彼女のお母さんに会えてうれしかった。
お母さんの涙は本当にきれいだった。
あの後、お母さんが持ってきてくれた植物を見て、
お母さんの涙を思い出して、何度も泣いた。
「ひょっとすれば、
いい人というのは、
自分のほかに、
どれだけ、
自分以外の人間が住んでいるかということで
決まるのやないやろか」
灰谷健次郎「太陽の子」より。
いい人にはほど遠いけど、
自分の中にある、自分以外の人間の存在を
もっともっと大切にしよう。
お母さん、本当にありがとうございました。]]> 紅い液体。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=218 2006-10-17T21:52:41+09:00 2007-05-22T09:39:06Z 2006-10-17T12:52:41Z 大騒ぎの転倒から3日後の夜、
テレビを見終わって寝ようとすると、
グレーのスウェットの右ひざの部分に
血がついているのがわかった。
何だろうと思って、まくってみると、
ひざが擦りむけて
傷がぐちゃぐちゃになっている。
点滴棒を引きずってナースステー... asuka a view of my illness
テレビを見終わって寝ようとすると、
グレーのスウェットの右ひざの部分に
血がついているのがわかった。
何だろうと思って、まくってみると、
ひざが擦りむけて
傷がぐちゃぐちゃになっている。
点滴棒を引きずってナースステーションまで歩く。
だいぶ入院生活にも慣れたし、
脳神経外科の看護婦さんはみんな仲良くなった。
でも、やっぱりナースコールを押して、
看護婦さんを呼ぶのを毎回躊躇してしまう自分がいる。
病人と自覚するのが嫌なだけかもしれないな。
看護婦さんに「沁みるよ」と言われて
塗ってもらった消毒薬がまったく痛くない。
「なんで今まで気づかなかったの?」と聞かれて
ようやく気がついた。
わたし、右足の感覚がない。
至急、検査をすると、
右足の温覚・痛覚が麻痺していることがわかった。
麻痺は左半身だけだと思っていたけど、
後遺症はこんなところでまた明らかになった。
また、ある夜、いつもより点滴で刺されてる部分が
やけに痛くて、目が覚めた。
電気をつけて、腕を見てみると、
点滴がもれて、
血がチューブに逆流している。
あわててナースコースを押しながら、
そのチューブを改めて見てふと思った。
「わたし、生きてるんだなぁ。」
大人になってみると、
血というものは、
案外見る機会がとても少ないような気がする。
小さいころは、転んだり、切ったり、
ブランコに突っ込んだり…
やんちゃな分、何度も自分の血を見てきた。
からだには同じように血が流れているのに、
めったにお目にかからない。
でも、入院してみると、
病院には血の気配みたいなものを常に感じる。
それは、汚いとか気持ち悪いとか
そういう陰湿な意味ではなく、
もっと本質的なもの。
死が近くにある病院は、
いのちに繋がっているものとして、
“血”の気配がある。
好きだった注射は、
入院中にされすぎて嫌いになったけど、
たまに血を見るのはいい気がする。
血を見て安心するなんて変な話だけど、
生きものには当然のように
紅い液体が流れている。
だから、生きていられるんだな。]]> ジレンマ。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=215 2006-10-15T23:11:05+09:00 2007-05-20T14:33:47Z 2006-10-15T14:11:05Z 病室の窓には、
いつも病院の前を通る人たちの姿がうつった。
朝はつらかった。
会社や学校に向かう人たちの影は、
いつも世界とわたしが、
この窓という大きな壁で区切られていると感じさせた。
あっち側はいいな。
あっち側にいきたいな。
やりたいことが沢... asuka a view of my illness
いつも病院の前を通る人たちの姿がうつった。
朝はつらかった。
会社や学校に向かう人たちの影は、
いつも世界とわたしが、
この窓という大きな壁で区切られていると感じさせた。
あっち側はいいな。
あっち側にいきたいな。
やりたいことが沢山あるのに、
麻痺でそれがもうすべてできないなら
いっそのこと死んでしまいたいと思う朝も
何度もあった。
そんなことを考えてしまうときは
いつも孤独を感じた。
誰も分かってくれない。
なんでわたしはこんな目に遭っているのに、
世界は普通に回っているんだろう。
そんなことを考えてるときの
わたしの呼吸はひどく乱れていたと思う。
心配してくれていた大切な友だちに対してさえ、
醜いことを考えた。
心配してくれているのだろうけど、
それでも、それぞれの日常は過ぎていて、
わたしができないことを当たり前にやって、
笑ったり、怒ったり、悲しんだり、喜んだり、
そういうささいなことで時間が過ぎていく。
きっとわたしのことなんか
ほんとは関係ないんだろう。
我慢できなくなって、
苦しくて、苦しくて、
その思いを友だちにメールでぶつけてしまった。
でも、彼は言った。
「おれらはただ想像して
心配して
考えてるだけで
痛みを変わることも
同じ立場に立つこともできないのが
心苦しいよ。
少なからず明日香のまわりにいる人たちも
力になってあげたいと思いながら
どうにもならないジレンマを抱えてると思うよ」
そして、わたしにもうひとつのジレンマの話をしてくれた。
そう思ってしまうのは、
重い病気を抱えている人共通の心理で、
自分の友だちも同じことを言っていたこと。
だから、反省する必要はないこと。
でも、同時に彼の病気の友だちは、
「まわりが誰も分かってくれない気がしても、
まわりの存在で少なからず支えになっているっていう
ジレンマもある」
と言っていたそうだ。
その気持ちは痛いほどよくわかった。
涙が出るほど、わかった。
まわりの存在に支えられている分、
そして、その存在が
今の自分にとってどんなに大きいか分かっている分、
彼らとの距離を感じるのが恐ろしかった。
彼の病気の友だちは亡くなってしまった。
わたしも何度かクラブで会ったことがある。
明るくて、ダンスがうまくて、
かっこいい人だった。
彼は最後、孤独を感じずにいれただろうか?
病気になった彼に会っていないわたしは
よくわからない。
でも、わたしはその言葉に救われた。
胸にすとんと響いた。
もう一度だけでも、会って話をしたかった。
最後に、友だちは言ってくれた。
「何があっても味方だから。」
また、孤独を感じたら、
この言葉を思い出そう。]]> 歪み。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=217 2006-10-13T21:16:22+09:00 2007-05-22T09:33:58Z 2006-10-13T12:16:22Z お見舞いに来てくれたお母さんを見送って、
点滴棒を頼りにゆっくり体を反転させようとしたとき、
世界がくずれた。
気づいたら、地面に膝をついていて、
転んでいたと気づく。
変な冷や汗が流れる。
お母さんを呼ぼうと思っても声が出ない。
きっとすごく引... asuka a view of my illness
点滴棒を頼りにゆっくり体を反転させようとしたとき、
世界がくずれた。
気づいたら、地面に膝をついていて、
転んでいたと気づく。
変な冷や汗が流れる。
お母さんを呼ぼうと思っても声が出ない。
きっとすごく引きつった表情をしていたのだと思う。
近くにいた警備員さんが走ってくる。
立とうと頭で分かっていても、
からだがゆうことを聞かず、うまく立ち上がれない。
こんなときに麻痺というリアルを実感させられる。
動かないからだとは逆に、
頭だけがやけに冴えていて、それが本当に悲しい。
警備員さんに助けられて、何とか立ち上がった。
転んだ瞬間を思い出すと、
世界が歪んだような感覚だった。
視界がぐにゃっと変化した。
すごく怖かった。
めまいがする。
わたしはこんなにあやふやな所にいるんだ。
その後、リハビリ室や病棟のナースステーションで
そのことを報告すると、
みんな大騒ぎだった。
「さっき転びました」と言った瞬間、
リハビリ士のおにいちゃんも看護婦さんも真っ青になる。
先生もそれを聞いて、病室に飛んできた。
麻痺がひどくなっていないか
何度も検査される中、
自分の置かれている状況が
どんなに厳しいか初めて分かった気がして
泣けてきた。
「死ヌコトニ理由ハイラナイケド、
生キテクタメニハ理由ガイリマス」
浅田次郎「プリズンホテル」より。
そんな言葉を思い出した。]]> 抜糸。 http://flavor813.jugem.cc/?eid=216 2006-10-11T23:53:35+09:00 2007-05-22T09:30:20Z 2006-10-11T14:53:35Z 手術から約10日後、朝の回診時に2日に分けて
抜糸をすることになった。
糸ではなく、ホチキスを外すその儀式。
わたしからはまったく見えないその傷は、
どうなっているのだろうか。
お見舞いに来てくれた弟に写真を撮ってもらった。
うわ…。
予想以上に... asuka a view of my illness
抜糸をすることになった。
糸ではなく、ホチキスを外すその儀式。
わたしからはまったく見えないその傷は、
どうなっているのだろうか。
お見舞いに来てくれた弟に写真を撮ってもらった。
うわ…。
予想以上にホチキスがついていて驚いた。
予想以上に傷が長くて驚いた。
そして、何より、
気持ち悪い。
回診の際、先生方は
「傷はきれいですね。
抜糸はすぐ終わるから痛くないよ」
なんて言っていたけど、
この写真を見て、絶対に痛くないわけがないと確信した。
朝の回診は、ドラマ「白い巨塔」のように
何人もの先生が病室を回って入院患者を診る。
あのドラマのように威圧的な態度ではなく、
みなとても穏やかな雰囲気だけど。
抜糸の日、何人もの先生に囲まれた後、
手術も執刀してくださった、教授の先生(わたしの担当医)が
抜糸をしてくれることになった。
点滴を5回も失敗したあげく、
結局他の先生を呼びに行った研修医じゃなくてほんとによかった。
あの人がやろうとしたら、左半身を引きずってでも
絶対に逃げ出そうと思っていた。
彼のせいで両腕が無駄なあざだらけになった。
でも、その先生でもやっぱり抜糸は痛かった。
チク。
チク。
チク。
1本取るたびに、鋭い痛みがする。
1本取るたびに、「うそつき」と心の中でつぶやいていた。
でも、2日目の後半戦は、
何かから解放されるような妙なすがすがしさがあった。
まだリハビリも始めたばかりで
合計2hのメニューをこなしただけでどっと疲れるし、
からだのあちこちが痛くなる。
でも、最近は自分でトイレにも行けるようになった。
首についていたホチキスが取れたことで
またこれから何かがやり直せるような、
そんな気持ちになって、本当にうれしかった。
この左足じゃ無理だけど
できることならスキップでもしたい気分。
その日のノートにそんな馬鹿なことを書いた。
こういうささいなことが積み重なって、
少しずつわたしは元気になってゆくのだろう。
こういうささいな幸せを
感じられるわたしになってよかった。]]>