no rain, no rainbow
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逃亡。
病院の朝は早い。

6時に放送が流れて、
看護婦さんが血圧や体温を測りに来る。
カーテンが開けられて、
窓側のベッドのわたしは、
朝日がやけにまぶしくて、
目を細めながら、現実と夢の間をいつもまどろむ。

看護婦さんが帰ったあと、
同じ病室のふたりはいつも、
「逃亡してきまーす」と行って出かけていく。

そんなときのふたりは
点滴をしていても、病人とは思えないほど
とても明るい。

朝ごはんの後や、
昼ごはんの後、
消灯前の時間に、
彼女らはこぞって逃亡する。

そして、帰ってきたときの顔はもっと明るい。


逃亡とは、たばこのことである。


看護婦さんに車いすで運んでもらわないと
何もできなかったわたしは、
そんなふたりをいつもうらやましく思っていた。

大好きだったたばこを吸いたいという気持ちよりは、
その「逃亡」という行為がなんかいいなと思っていた。


遅刻して学校に行くときの
なんだかよくわからない優越感のような。

仕事中、打ち合わせと打ち合わせの合間の隙間時間に
カフェに入ってお茶を飲むときのような
ちょっと後ろめたさがある、
でも安らげる一瞬の休息のような。


だから、点滴棒などを頼りに
なんとかひとりで歩けるようになったときは、
ひそかに逃亡の誘いを待った。

「いいなぁ。わたしも吸いたいな〜」
逃亡から帰ってきてすがすがしいふたりに
ぼそっとつぶやいてみたりして、
ふたりが「吸っちゃえば?」というのを待っていた。


抜糸も済んで、
だいぶわたしのリハビリが進んできた頃、
ふたりがようやく言ってくれた。

「明日香ちゃんも逃亡する?」

あのときは、うれしかったなぁ。


3人で向かった、病院の外にある喫煙所には、
人がいつも溜まっていて、
みんな明るくて、
すぐ仲良くなった。

みんなはそんな自分たちのことを
不良仲間と言っている。

いろんな科の入院患者がいるから、
いろんな病気にくわしくなった。

医療系の情報番組やドラマは
なぜかみんな欠かさず見ていて、
次の日必ずそのテレビ番組の話になる。

「この病院にコトー先生がいればなぁ‥」とか、
「進藤先生がいればもっと悪くなる前に気づいたのに‥」とか
ドラマの世界に浸って、ふざけたことを言っている。

手術前だったり、
再発して再入院になったりして、
ナーバスな人がいると、
みんなで脅していじめたりするけれど、
病室に戻るときには、
みんな絶対笑顔になっている。


病気の分だけ、
つらい分だけ、
その分、みんなやさしかった。

病の経験は人をやさしく、
大きくするのかもしれない。


わたしは最後まで年上のみんなに
甘えてばかりだった。
コーヒーやらお菓子やら、いろんなものをおごってもらった。
泣き言もいっぱい聞いてもらった。


病室から喫煙所という、
短い、ささいな逃亡が、
わたしをいつも真っ暗なトンネルから
引っ張り出してくれた。

ありがとう。
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母。-part2-
「明日香さん。」
そう言って、病室のカーテン越しに優しい顔が見えた。

あのときの光景は、今でもよく覚えている。

誰か分からないけど、
一瞬で、とても近しく、あたたかく感じた。

「●●の母です。」
そう聞いたとたん、何も話してないのに
すべてわかった気がした。

「明日香さんの話を聞いて、どうしてもお見舞いに行きたくて、
 病院がよくわからなかったので電話して聞いたんだけど、
 プライバシーだから答えられませんといわれて。
 でも、どうしてもお見舞いに行きたいって言ったら、
 『(わたしは)入院されているようです』って微妙に教えてくれて…。
 確証がなかったから主人とも相談したんだけど、
 わたしはどうしても行きたくて、来てしまいました。」

お母さんはそう言ってくれた。
友だちに雰囲気がとてもよく似ている。

そして、
「本当に大変だったね。かわいそうに。」
と、わたしのために泣いてくれた。

初めて会ったというのに、
わたしのことを思って、
こんな風に涙を流してくれるなんて。
そう思ったら、本当にうれしくて、
泣きそうになった。


病気になったとき、
真っ先に話を聞いてほしかった友だちは
アメリカでとても頑張っている。

メールでも、スカイプでも、
くじけそうなとき、何度も支えになってもらった。

何より存在自体が支えだったように思う。


脊髄腫瘍がわかったときに連絡をした後、
彼女から来たメールは今でも忘れられない。

『今は明日香に言いたいことが沢山あって、
 例えば、仕事を早く切り上げてもっと早く病院行くべきだった、とか
 無理して他人の仕事引き受けるんじゃない、とか
 いっぱいいっぱいある。
 でも、そういうことは今言ってあげても何の意味もなくて
 私は明日香の状況を身近で聞いていて知っていたはずなのに
 なんでもっと強くそういうこと言わなかったんだろう、って
 沢山後悔してる。

 明日香は負けず嫌いで頑張りやだから、そして
 頑張ってきちんと結果を出すことに喜ぶ人だから
 仕事に関して私がとやかく言うことは出来なかった。

 でも、もしかしたら、明日香は気持ちのどこかで
 誰かに強く止めてもらいたい、みたいな
 愚痴を聞いて欲しい、ストレス発散に付き合って欲しいって
 沢山サインを送ってくれてたのかもしれない、って今更思う。
 でも私はそういうことにこれまで気付いてこれなかったんだと思う。

 大事な友達がこんな状態になるまで、
 何一つしてあげられなくて、ごめんね。』


無茶な働き方をしていた自分を、
初めてこころから悔やんだのはこのときだったと思う。

大事な友だちにそんなことを思わせてしまうのは、
本当に罪だと思った。
悲しかった。

わたしはわたしの意志でこんな働き方をしていた。
でも、わたしはひとりでは決して生きていけない。
だから、自分がよければそれでいい。
そういう問題じゃないんだ。
心底、そう思った。

そして、そんな友だちを持てたことを改めて幸せに思った。


だから、彼女のお母さんに会えてうれしかった。

お母さんの涙は本当にきれいだった。

あの後、お母さんが持ってきてくれた植物を見て、
お母さんの涙を思い出して、何度も泣いた。


「ひょっとすれば、
 いい人というのは、
 自分のほかに、
 どれだけ、
 自分以外の人間が住んでいるかということで
 決まるのやないやろか」

灰谷健次郎「太陽の子」より。



いい人にはほど遠いけど、
自分の中にある、自分以外の人間の存在を
もっともっと大切にしよう。

お母さん、本当にありがとうございました。
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紅い液体。
大騒ぎの転倒から3日後の夜、
テレビを見終わって寝ようとすると、
グレーのスウェットの右ひざの部分に
血がついているのがわかった。

何だろうと思って、まくってみると、
ひざが擦りむけて
傷がぐちゃぐちゃになっている。

点滴棒を引きずってナースステーションまで歩く。

だいぶ入院生活にも慣れたし、
脳神経外科の看護婦さんはみんな仲良くなった。
でも、やっぱりナースコールを押して、
看護婦さんを呼ぶのを毎回躊躇してしまう自分がいる。
病人と自覚するのが嫌なだけかもしれないな。


看護婦さんに「沁みるよ」と言われて
塗ってもらった消毒薬がまったく痛くない。

「なんで今まで気づかなかったの?」と聞かれて
ようやく気がついた。

わたし、右足の感覚がない。

至急、検査をすると、
右足の温覚・痛覚が麻痺していることがわかった。

麻痺は左半身だけだと思っていたけど、
後遺症はこんなところでまた明らかになった。


また、ある夜、いつもより点滴で刺されてる部分が
やけに痛くて、目が覚めた。

電気をつけて、腕を見てみると、
点滴がもれて、
血がチューブに逆流している。

あわててナースコースを押しながら、
そのチューブを改めて見てふと思った。

「わたし、生きてるんだなぁ。」


大人になってみると、
血というものは、
案外見る機会がとても少ないような気がする。

小さいころは、転んだり、切ったり、
ブランコに突っ込んだり…
やんちゃな分、何度も自分の血を見てきた。

からだには同じように血が流れているのに、
めったにお目にかからない。

でも、入院してみると、
病院には血の気配みたいなものを常に感じる。

それは、汚いとか気持ち悪いとか
そういう陰湿な意味ではなく、
もっと本質的なもの。

死が近くにある病院は、
いのちに繋がっているものとして、
“血”の気配がある。

好きだった注射は、
入院中にされすぎて嫌いになったけど、
たまに血を見るのはいい気がする。

血を見て安心するなんて変な話だけど、
生きものには当然のように
紅い液体が流れている。

だから、生きていられるんだな。
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ジレンマ。
病室の窓には、
いつも病院の前を通る人たちの姿がうつった。
朝はつらかった。
会社や学校に向かう人たちの影は、
いつも世界とわたしが、
この窓という大きな壁で区切られていると感じさせた。

あっち側はいいな。
あっち側にいきたいな。

やりたいことが沢山あるのに、
麻痺でそれがもうすべてできないなら
いっそのこと死んでしまいたいと思う朝も
何度もあった。

そんなことを考えてしまうときは
いつも孤独を感じた。

誰も分かってくれない。
なんでわたしはこんな目に遭っているのに、
世界は普通に回っているんだろう。

そんなことを考えてるときの
わたしの呼吸はひどく乱れていたと思う。

心配してくれていた大切な友だちに対してさえ、
醜いことを考えた。

心配してくれているのだろうけど、
それでも、それぞれの日常は過ぎていて、
わたしができないことを当たり前にやって、
笑ったり、怒ったり、悲しんだり、喜んだり、
そういうささいなことで時間が過ぎていく。
きっとわたしのことなんか
ほんとは関係ないんだろう。

我慢できなくなって、
苦しくて、苦しくて、
その思いを友だちにメールでぶつけてしまった。

でも、彼は言った。

「おれらはただ想像して
 心配して
 考えてるだけで
 痛みを変わることも
 同じ立場に立つこともできないのが
 心苦しいよ。
 少なからず明日香のまわりにいる人たちも
 力になってあげたいと思いながら
 どうにもならないジレンマを抱えてると思うよ」

そして、わたしにもうひとつのジレンマの話をしてくれた。

そう思ってしまうのは、
重い病気を抱えている人共通の心理で、
自分の友だちも同じことを言っていたこと。
だから、反省する必要はないこと。

でも、同時に彼の病気の友だちは、
「まわりが誰も分かってくれない気がしても、
 まわりの存在で少なからず支えになっているっていう
 ジレンマもある」
と言っていたそうだ。

その気持ちは痛いほどよくわかった。
涙が出るほど、わかった。
まわりの存在に支えられている分、
そして、その存在が
今の自分にとってどんなに大きいか分かっている分、
彼らとの距離を感じるのが恐ろしかった。


彼の病気の友だちは亡くなってしまった。
わたしも何度かクラブで会ったことがある。
明るくて、ダンスがうまくて、
かっこいい人だった。

彼は最後、孤独を感じずにいれただろうか?

病気になった彼に会っていないわたしは
よくわからない。

でも、わたしはその言葉に救われた。
胸にすとんと響いた。
もう一度だけでも、会って話をしたかった。


最後に、友だちは言ってくれた。

「何があっても味方だから。」


また、孤独を感じたら、
この言葉を思い出そう。
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歪み。
お見舞いに来てくれたお母さんを見送って、
点滴棒を頼りにゆっくり体を反転させようとしたとき、
世界がくずれた。

気づいたら、地面に膝をついていて、
転んでいたと気づく。

変な冷や汗が流れる。
お母さんを呼ぼうと思っても声が出ない。

きっとすごく引きつった表情をしていたのだと思う。
近くにいた警備員さんが走ってくる。

立とうと頭で分かっていても、
からだがゆうことを聞かず、うまく立ち上がれない。
こんなときに麻痺というリアルを実感させられる。
動かないからだとは逆に、
頭だけがやけに冴えていて、それが本当に悲しい。

警備員さんに助けられて、何とか立ち上がった。

転んだ瞬間を思い出すと、
世界が歪んだような感覚だった。
視界がぐにゃっと変化した。
すごく怖かった。

めまいがする。
わたしはこんなにあやふやな所にいるんだ。

その後、リハビリ室や病棟のナースステーションで
そのことを報告すると、
みんな大騒ぎだった。
「さっき転びました」と言った瞬間、
リハビリ士のおにいちゃんも看護婦さんも真っ青になる。
先生もそれを聞いて、病室に飛んできた。

麻痺がひどくなっていないか
何度も検査される中、
自分の置かれている状況が
どんなに厳しいか初めて分かった気がして
泣けてきた。


「死ヌコトニ理由ハイラナイケド、
 生キテクタメニハ理由ガイリマス」

 浅田次郎「プリズンホテル」より。


そんな言葉を思い出した。
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抜糸。
手術から約10日後、朝の回診時に2日に分けて
抜糸をすることになった。

糸ではなく、ホチキスを外すその儀式。

わたしからはまったく見えないその傷は、
どうなっているのだろうか。
お見舞いに来てくれた弟に写真を撮ってもらった。



うわ…。
予想以上にホチキスがついていて驚いた。
予想以上に傷が長くて驚いた。
そして、何より、
気持ち悪い。

回診の際、先生方は
「傷はきれいですね。
 抜糸はすぐ終わるから痛くないよ」
なんて言っていたけど、
この写真を見て、絶対に痛くないわけがないと確信した。

朝の回診は、ドラマ「白い巨塔」のように
何人もの先生が病室を回って入院患者を診る。
あのドラマのように威圧的な態度ではなく、
みなとても穏やかな雰囲気だけど。

抜糸の日、何人もの先生に囲まれた後、
手術も執刀してくださった、教授の先生(わたしの担当医)が
抜糸をしてくれることになった。

点滴を5回も失敗したあげく、
結局他の先生を呼びに行った研修医じゃなくてほんとによかった。
あの人がやろうとしたら、左半身を引きずってでも
絶対に逃げ出そうと思っていた。
彼のせいで両腕が無駄なあざだらけになった。

でも、その先生でもやっぱり抜糸は痛かった。
チク。
チク。
チク。
1本取るたびに、鋭い痛みがする。
1本取るたびに、「うそつき」と心の中でつぶやいていた。

でも、2日目の後半戦は、
何かから解放されるような妙なすがすがしさがあった。

まだリハビリも始めたばかりで
合計2hのメニューをこなしただけでどっと疲れるし、
からだのあちこちが痛くなる。

でも、最近は自分でトイレにも行けるようになった。

首についていたホチキスが取れたことで
またこれから何かがやり直せるような、
そんな気持ちになって、本当にうれしかった。

この左足じゃ無理だけど
できることならスキップでもしたい気分。
その日のノートにそんな馬鹿なことを書いた。


こういうささいなことが積み重なって、
少しずつわたしは元気になってゆくのだろう。

こういうささいな幸せを
感じられるわたしになってよかった。
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母。
片道2h、往復4hかけて
毎日病院に来てくれる。

わたしがおぼつかない手で、
病院食を食べている間、
となりでコンビニで買った
あまり美味しそうでないサンドイッチを食べている。

左手が麻痺のせいで震えて、
しょっちゅう食べ物をこぼすのを、
笑いながら拾ってくれる。


あまり相談もせず、
名前も聞いたことがない
創業3年目のベンチャー企業への入社を決めたわたしを
「明日香が考えて決めたなら、それでいい」
と応援してくれた。

貯金なんてほとんどないくせに、
「一人暮らしがしたい!」とわがままを言うわたしに、
一人暮らしをさせてくれた。

働き始めて、病気が発覚するまで
実家に帰ったのは1日だけ。
それも寝に帰ったようなものだったけど、
やっぱり我が家はあったかかった。

忙しすぎて、全然寝ていないわたしに
しょっちゅう電話をかけてきては、
「生きてる?」が第一声だった。


そして、気づいたら、脊髄腫瘍という
わけのわからない病気になった。

手術後に、ひとりではトイレにも行けず、
シャワーも浴びれなくなったわたしを、
ずっと看病してくれている。


どれだけ心配をかけただろうか。


病気になってから、お母さんは、
一度も愚痴を言わず、
一度も泣き言も言わなかった。

いつも明るかった。


お母さんが病室に来るときはいつもさみしく、
お母さんが家に帰るときはいつも泣きそうになる。

申し訳なくて、
情けなくて、
心細くて、
涙ぐんでしまう。

お母さん、こんな病気になって
本当にごめんなさい。


わたし、もう23歳なのになあ。
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病室。
個室から大きい病室に引っ越した。

病室は5人部屋。
ドアを入って、右側にふたつ、
左側にみっつベッドがある。

右側の窓側がわたしで、
となりの廊下側は陽気なおばちゃん。
いつも明るくて、
毎朝冷たい給水器の水を、病室のみんなの分、
空のペットボトルに入れてきてくれる。
病室には、いつもおばちゃんの元気な声が響いている。

左側の窓側、つまりわたしの向かい側は
明るいおねえさん。
確実に年齢より10歳は若く見える。
大変な病気なのに、いつもやさしい。
何回も入退院を繰り返しているから、
病院のことにやたら詳しいけど、
全然病の気配を感じさせない。

そのとなりはひとつ空いていて、
廊下側のベッドに、かわいいおばあちゃん。
やさしくて、話好きで、
前はヨン様が好きだったけど、
今はタッキーに夢中だそうだ。
いつもかわいい服を着て、
ベッドにきれいに花を活けている。


5Fの一番奥の病室で、
この明るい3人に囲まれているから、
わたしは入院生活を乗り越えてこれたように思う。


他の病室では、
常にベッドのまわりのカーテンを閉め切っているところが多いけど、
わたし達は、お見舞いの人が来てくれているときや寝るとき以外は、
(特にごはんを食べるときなんかは絶対に)
カーテンをオープンにして、
話しながら、ゆっくりごはんを食べる。
そんなときのごはんはとても美味しい。
たまには、ごはんですよやふりかけや
お見舞いにもらったフルーツなんかも回ってくる。


いつもリハビリから「疲れた〜!」と
ぶうぶう言いながら帰ってくるわたしを
「おかえり〜」と明るく迎えてくれる。

たまには、
「文句言っちゃだめよ。
 若いから絶対によくなるんだから。」
とたしなめてくれたりもする。

そうかと思えば、
「かっこいい先生いないの?
 お金持ってるからいいんじゃない?」
なんて、よくわからない話から、
セレブと結婚する方法について話が脱線したりもする。


そんなおだやかな時間はいつも、
自分が病気だったことを忘れさせてくれた。


向かいのおねえさんのだんなさんが
わたしのために大量に持ってきてくれたDVDの中に、
「救命病棟24時」があった。


その中で、江口洋介が言っていた。

『解決してくれるのは時間じゃない。
 その時間に誰かと話して、何かを感じた。
 だから、俺はここにいられる。
 閉じこもってないで、外に出てみたらどうだ。』


本当にそのとおりだと思う。

人は、いつも人に救われる。

みんな元気にしているだろうか。
元気だといいな。
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ピクセル。
動けないわたしの視界にしっかり入るようにと
定められたテレビ。

動けないと、テレビも自由に見れないのだ。
誰かに電源を入れてもらわないと、
チャンネルを操作してもらわないと、
何も見られない。

消灯後、個室の闇に慣れたわたしは
消されたテレビをぼんやり眺めていた。

ふと、テレビの横のカードの入り口が気になった。

カードを入れると電源が入る。
そして、見た時間だけカードが消費されていく仕組みだ。

ずっと、そのカード口を見つめていると、
今のわたしの思考がその入り口に吸い込まれ、
自分が映像化されていくような錯覚に陥る。

放送終了後の雑音と
細かいピクセルで散りばめられた暗い画面。

きっと、今のわたしの心はそんなだろう。
そう思うと、急に悲しくなった。

でも、自分が映像化されていくような思考回路に陥ったことについて
冷静に考えられるようになったとき、
そこには希望があったと思う。

うまく説明できないので、
田口ランディの「7days in Bali」の言葉を借りる。

「つまり生きているということは、
 なんらかの形で世界を解釈しているのだ…と。」

「人間になるということの壮絶な苦痛。
 それは感受性を持つことだ。」

「世界はひとつではない。
 世界は無数にある。
 自分は自分というひとつの固定した存在ではない。
 もっと多様で、もっと柔らかな存在だ。」



この状況にいるからこそ、得られる視点を
もっと大事にしよう。
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闇。
ICUを出て移されたのは、
元いた5人部屋ではなく個室だった。

そのことが、自分のからだが壊れてしまった事実を思わせて
気分がいっそう暗くなる。

個室の夜は怖い。
そして、暗い。真っ暗闇だ。
なんで、こんなに暗いのだろう。

そして、動けないということが、
こんなにも恐ろしいとは思わなかった。

左半身の麻痺と聞いて、
利き腕の方じゃなくてよかったね、
と思う人は多いかもしれない。
でも、そうじゃなかった。

「普通」ってなんて残酷な言葉だろうとふと思う。

今までわたしがいたところ、
わたしができていたことが普通なら、
明らかに今のわたしは普通じゃない。
そしたら、今のわたしは何なのだろうか。

夜のどが渇いても、ペットボトルに手が届かない。
音楽が聞きたくても、i-podに手が届かない。
そちらに首さえ向けられないのだ。
本当に何もできない。

決定的なのは、トイレだ。
トイレに行きたくても、一人で行けない。

ナースコールを呼ぶ。
車椅子を持ってきてもらう。
ベッドから車椅子に乗せてもらう。
車椅子を押してもらう。
トイレのドアを開けてもらう。
便器まで移動させてもらう。
スウェットをおろしてもらう。
スウェットをあげてもらう。
車椅子に乗せてもらう。
車椅子を押してもらう。
ベッドに乗せてもらう。

屈辱以外の何者でもなかった。

自分でトイレもいけない、こんなわたしで
生きている意味があるのだろうか。

人生というものは、
案外あっさり壊れてしまうものなんだ。
真っ暗闇の中で心底そう思った。

痛い。
動きたい。
水が飲みたい。
元に戻りたい。

右手に握っている
ナースコールの装置だけが
わたしを世界とつなげている。
これがなかったら
本当に何もできない。

薄い眠りの中で
とにかくナースコールだけを
常に探す自分がいた。

ふと目が覚めて
手元にナースコールがないときのあの恐怖。

そんなときに隣の個室が
騒々しいことに気がついた。

もう夜中なのに、具合でも悪いんだろうか?

耳を澄まして背筋が凍った。

「夜分遅くに申し訳ありません。
 ●●がたった今、息を引き取りました。
 葬儀など詳しいことはまたご連絡いたします。」
隣の病室の人は電話をかけているのだ。
何人も、何人も。

本当に死と隣り合わせなんだ。

わたし、まだ死にたくない。

こんなからだでは生きたくないという思いと、
まだ生きたいという思いが、
両方とても強い気持ちでせめぎ合って、
個室初めての夜はまったく眠れなかった。

真っ暗な闇が
からだに染み渡っていくような気がした。
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