「明日香さん。」
そう言って、病室のカーテン越しに優しい顔が見えた。
あのときの光景は、今でもよく覚えている。
誰か分からないけど、
一瞬で、とても近しく、あたたかく感じた。
「●●の母です。」
そう聞いたとたん、何も話してないのに
すべてわかった気がした。
「明日香さんの話を聞いて、どうしてもお見舞いに行きたくて、
病院がよくわからなかったので電話して聞いたんだけど、
プライバシーだから答えられませんといわれて。
でも、どうしてもお見舞いに行きたいって言ったら、
『(わたしは)入院されているようです』って微妙に教えてくれて…。
確証がなかったから主人とも相談したんだけど、
わたしはどうしても行きたくて、来てしまいました。」
お母さんはそう言ってくれた。
友だちに雰囲気がとてもよく似ている。
そして、
「本当に大変だったね。かわいそうに。」
と、わたしのために泣いてくれた。
初めて会ったというのに、
わたしのことを思って、
こんな風に涙を流してくれるなんて。
そう思ったら、本当にうれしくて、
泣きそうになった。
病気になったとき、
真っ先に話を聞いてほしかった友だちは
アメリカでとても頑張っている。
メールでも、スカイプでも、
くじけそうなとき、何度も支えになってもらった。
何より存在自体が支えだったように思う。
脊髄腫瘍がわかったときに連絡をした後、
彼女から来たメールは今でも忘れられない。
『今は明日香に言いたいことが沢山あって、
例えば、仕事を早く切り上げてもっと早く病院行くべきだった、とか
無理して他人の仕事引き受けるんじゃない、とか
いっぱいいっぱいある。
でも、そういうことは今言ってあげても何の意味もなくて
私は明日香の状況を身近で聞いていて知っていたはずなのに
なんでもっと強くそういうこと言わなかったんだろう、って
沢山後悔してる。
明日香は負けず嫌いで頑張りやだから、そして
頑張ってきちんと結果を出すことに喜ぶ人だから
仕事に関して私がとやかく言うことは出来なかった。
でも、もしかしたら、明日香は気持ちのどこかで
誰かに強く止めてもらいたい、みたいな
愚痴を聞いて欲しい、ストレス発散に付き合って欲しいって
沢山サインを送ってくれてたのかもしれない、って今更思う。
でも私はそういうことにこれまで気付いてこれなかったんだと思う。
大事な友達がこんな状態になるまで、
何一つしてあげられなくて、ごめんね。』
無茶な働き方をしていた自分を、
初めてこころから悔やんだのはこのときだったと思う。
大事な友だちにそんなことを思わせてしまうのは、
本当に罪だと思った。
悲しかった。
わたしはわたしの意志でこんな働き方をしていた。
でも、わたしはひとりでは決して生きていけない。
だから、自分がよければそれでいい。
そういう問題じゃないんだ。
心底、そう思った。
そして、そんな友だちを持てたことを改めて幸せに思った。
だから、彼女のお母さんに会えてうれしかった。
お母さんの涙は本当にきれいだった。
あの後、お母さんが持ってきてくれた植物を見て、
お母さんの涙を思い出して、何度も泣いた。
「ひょっとすれば、
いい人というのは、
自分のほかに、
どれだけ、
自分以外の人間が住んでいるかということで
決まるのやないやろか」
灰谷健次郎「太陽の子」より。
いい人にはほど遠いけど、
自分の中にある、自分以外の人間の存在を
もっともっと大切にしよう。
お母さん、本当にありがとうございました。