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彼の作品には、どれも妙な威厳がある。
そして、とても一言では言い表わせないほど、
“うつくしい”。

きっと、この1枚を、この一瞬を切り取るための膨大な膨大な時間が
作品に計り知れない重量感を持たせているのだと思う。



お台場のノマディック美術館、
グレゴリー・コルベールの“ashes and snow”に行った。

ちょうど今日までやっていたその移動美術館に、
妹といっしょに足を運んだのはもう2週間ほど前。




象と少年。


チーターと少年。


オラウータンと女性。



動物と人間による、無言の壮大なコミュニケーションが
写真・映像・小説・空間によって
余すことなく表現されている。



でも、artとしての完成度の高さに圧巻される一方で、
最初から最後まで、ずっと妙な違和感がつきまとっていた。

心の裏がざらざらとする感じ。
この美しい写真たちに、からだの奥が拒否反応を起こしていた。

この美術館の感想は多くの友人からも聞いた。
涙が出た、という友だちもいた。

グレゴリーが伝えたいテーマに共鳴できないなんて、
きっと自分がひどく汚れているからかもしれない。
そんな考えも浮かんだが、あえてはっきり感想を言う。


どうしても、作品の中の人間と動物の関係性が嘘くさい。

少なくともわたしは、
人間と動物の関係性はこんなに美しくないと思う。
人間と動物の距離は、もっと遠く離れてしまった。
とても、かなしいけれど。
だから、わたしはこの美しい空間の中で、
なんだかずっとかなしかった。


人は、チーターが隣にいたら、
目をつむってじっとしていることなんてできない。

ハイエナの群れが牙をむいていたら、
踊ろうなんて絶対に考えない。

壮大な自然の中で、動物と対峙したら
人間のとる行動は、きっともっと滑稽だ。

それは、はるか昔から
動物を、食物として、あるいは鑑賞物として、あるいは宝飾物として、
人間より下位の生き物と認識してきた、
人間の業なのではないか。


でも、何かを感じ、考えさせることが、
artのひとつの定義だとしたら、
グレゴリーはやっぱりすごい。



画面いっぱいに、ただ上から
オラウータンの片うでが垂れている映像があった。
その腕はゆっくり揺れていた。
その映像は、次に
同じ構図で人の手を映した。
人の手もゆっくり揺れていた。

でも、人の手は美しすぎて、なんだか悲しかった。

ラオスを旅していて、乗り合いトラックに乗ったとき、
となりに座っていた現地のおばさんに、
わたしの手をなでられながら
「きれいな手ね」と言われて、
とても悲しかったのを思い出した。
おばさんの手は、農作業のせいかとても荒れていた。

そのときと同じくらい、ひどく悲しかった。


人は賢くなった。

この手で、色々なものを生み出してきた。
でも、同時に
この手で、様々なものを遠ざけてきたのかもしれない。
この手は、人も動物も地球も殺せる。


女の人が肩に、オラウータンをのせて
古い本を読んでいる映像もあった。

オラウータンに本なんて読ませないで欲しかった。


違和感は今でもつきまとうけど、
この作品の中に映し撮られているように、
一瞬でも動物と交じり合うことができたら、
きっとすごく幸せだろう。

それは、なんとなくわかるから、
だから、見てよかった。




 真っ白な部屋の壁に、真っ白な板が6枚。
 そして、その板の上に、水が入った透明なグラスが置かれている。手前から奥に行くにしたがって、グラスが壁から離れた位置に置かれ、6枚目の板の上には、グラスはもうない。
 真下に落ちて、きれいに割れている。
 破片のまわりにはこぼれた水がじゅうたんを濡らしている。
 それが、左右に同じようにあるだけの部屋。
 なのに、なぜか体が吸い込まれるように惹きつけられるのはなんでだろう。
 タイトル「バランスの物語」。Alexander Gelmanの作品だ。


 真っ暗な部屋を、壁に手をつきながらそっと歩く。少しこわい。
 突き当りを曲がった、開けた空間はやはり真っ暗で、奥の壁ぎわの床にTVが5台置かれている。
 流れている映像はばらばら。ニュースや映画やドキュメンタリー番組やコント・・・とにかく色んな種類の映像をつなげたような映像だ。
 でも、ずっと見ていると気づく。
 映像の中の人間(または車や馬など)が、すべて左から右に動いていることに。
 それに気づいた瞬間、一気に血が上昇するような興奮に包まれる。
 「かっこよすぎる、なんだこりゃ。」
 タイトル「Joint」。Enlightenmentの作品だ。


 薄暗い部屋にシェルターが1枚。どこかのビルの屋上から撮った、変哲のないビルと空が映し出されている。
 ビルはどれもさびれていて、空の色は全然ぱっとしない。
 しかし、しばらくすると、思わずびくっとする。
 「キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
 真後ろに置いてあったスピーカーが甲高い声を出す。その声に合わせて、映像がぱっと切り替わる。
 場所は同じだが、空の色が違う。あいかわらずぱっとしない風景。
 「キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
 また映像チェンジ。何度聞いてもびびる。
 この変な声が微妙にはまる。やられた…。
 タイトルは「ぴかーん/やった/アツイ!/まずい/よっしゃー/ひらめき・・・」そんな言葉が無数に並んでいる。Song Taoの作品。「キター!!」の同義語を沢山の人に聞いて集まった言葉がこの作品のタイトルだそうだ。
 
 
 どれもこれも『CET05』で見た作品たちだ。クリエイターの作品に驚いて、興奮して、テンションが上がりっぱなしだった。
(CET05とは、神田・馬喰町・浅草橋・日本橋・大手町・八丁堀……これらのエリアに点在する「空き物件」を利用した、街全体のギャラリー化。そして、この地に可能性を見出すアーティスト・デザイナー・建築家や、伝統を守りつつ暮らしてきた人々が、共同で、薄れつつある街の個性と賑わいを取り戻すための様々な試み。そんな活動を集約した複合型フェスティバル。詳しくは、http://www.centraleasttokyo.com/参照。)

 
 右脳が喜んでる。なんだかそう感じた。

 人間ってすごい。
 なんでこんなにぶっ飛んでんだ?
 
 自分が、
 これらの作品を作った有名クリエイター達と一応同じ造りの脳みそを持っていて、
 こんなに面白くて、かっこいいものに触れることができる目を持っていて、
 それを「すげー」って素直に興奮できるこころを持っていることが、
 なんだか、ものすごくうれしい。
 ハッピーだ。


 1年のとき、にいちゃんに出会って、
 自分の右脳から出てくるものを表現できる手段を持ってることが、
 ものすごくうらやましかった。
 右脳の造りがどこかわたしと違っていて、発想がぶっ飛んでるところも、
 最高にうらやましかった。

 でも、同時に興奮したのをよく覚えてる。
 単純に言えば、可能性が見えた。
 人間って、ものすごい可能性を秘めている。

 つまり、単細胞でプラス思考のわたしはこう思ったのだ。
 「わたしの脳みそにもなんらかの可能性が眠ってる。」

 そんな想いから、今クリエイティブチームのプロデューサーをやっている。にいちゃんが率いるチームだ。
 コンセプトは「東京実験場」。やりたいことは、コンセプトのまんま。

 今、すごく楽しい。

 第一弾は、きものやとのコラボ。アンティーク着物を使って、面白い作品を撮る。わたしが繋いだ店だ。わたしは作品を作ることはできないけど、楽しい。

 毎日、右脳が活性化されている。たぶんちょっとは右脳のしわも増えただろう。だって、こんなにわくわくしているもの。


 いつになっても、
 わくわくして、
 「すげー」って興奮して、
 「かっけー」って喜んで、
 たまには、「わたしもいい仕事したぜ」って、ちょっと誇れるような
 そんな自分になれたらいいな。




 まだ未完成だけど、ぜひクリエイティブチーム【macla】のHP遊びにきてくださいな。リンクが貼ってあります。



 【日常生活部門】の組写真部門に、真っ白な雪の中で、頭から血を流して倒れている女の人の写真があった。その女の人は死んでいる。その写真の隣には、泥の道に人の型がついている写真。説明を読むと、そこにあった死体を動かした跡だという。その人の型は、そこで死んだ人が最後にこの世に残した生きていた証のようなものかもしれない。

 先週の日曜日に、友達と恵比寿の東京都写真美術館で開かれている「世界報道写真展」に行った。その中にあったたくさんの写真のうちの2枚である。

 この2枚の写真はチェチェンで撮られたものだった。これが、【日常生活】という部門の中の写真であることがまずショックだった。日常生活?この「死」が、日常というのか?わたしの「日常」とこの写真の撮られたチェチェンでの「日常」のギャップはなんだろう?

 チェチェン紛争とは、チェチェン共和国のロシアに対する独立戦争だ。わたしもこの紛争に対してきちんと理解がなかったことに気づき、少し調べてみた。この紛争は、1994年からロシア南部のチェチェン共和国で続いている。ロシアからの独立を求めるチェチェンの人々の切実な願いを、エリツィン大統領とプーチン大統領は「テロだ」と断じて押さえつけてきた。人権と民主主義を高々と掲げるアメリカやEUは、ロシアの残酷な弾圧に目をつぶり続けているそうだ。それは、石油利権が絡んでいるから。そして、ロシア軍による無差別のミサイル攻撃、拉致、強制移住、家屋破壊、拷問、強姦、略奪が公然と行われている。ロシア各地で起こった「テロ事件」はチェチェン人の絶望的な抵抗と言える。

 そして、一番悲惨なことは、この国で起こっていることが、無視され忘れられていることだと思う。日本でも、このチェチェンで起こっていることを、明確に理解し、注目している人はとても少ないのではないか?「無知」「無関心」…。それは、この悲惨さを加速させるのではないか?

 それを、この写真たちが、そして、この写真の中に描かれていることがチェチェンの「日常」だということを突きつけられて、強く実感した。

 わたしは、大学1年の時、フィリピンのパヤタスの巨大なゴミ捨て場での生活を撮った映画で見て自分の視野の狭さにとても強い衝撃を受けた。世界ではこんなことが起きているんだということ、そして、それをわたしがまったく知らずに生きていたということ。その時と同じ衝撃を受けて、わたしは強い痛みを感じた。

 「世界とのギャップ」

 自分の周りの日常が「当たり前」の日常であること。平和な世界で生きているわたし達は、感覚が麻痺してしまっていて、今自分がいる場所が「平和」であることを認識していないことが多い。そして、自分の周りの日常が当たり前で、どこでも同じように繰り広げられているような錯覚に陥りやすい。少なくてもわたしはそうだ。でも、今平和で安全な場所にいるわたし達だからこそ、その世界とのギャップを感じて、もっと世界のことに目を向けていかなければいけないんじゃないかと思う。そうじゃないと、きっと世界はずっと変わらない。今、わたしが世界に目を向けたところで、自分に何ができるのか分からない。「無力」だ。でも、「無知」と「無関心」も、一種の暴力ではないのかと思うのだ。

 もっともっと、視野を広く持ちたい。そして、自分は何ができるのか真剣に考えたい。



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