真っ白な部屋の壁に、真っ白な板が6枚。
そして、その板の上に、水が入った透明なグラスが置かれている。手前から奥に行くにしたがって、グラスが壁から離れた位置に置かれ、6枚目の板の上には、グラスはもうない。
真下に落ちて、きれいに割れている。
破片のまわりにはこぼれた水がじゅうたんを濡らしている。
それが、左右に同じようにあるだけの部屋。
なのに、なぜか体が吸い込まれるように惹きつけられるのはなんでだろう。
タイトル「バランスの物語」。Alexander Gelmanの作品だ。
真っ暗な部屋を、壁に手をつきながらそっと歩く。少しこわい。
突き当りを曲がった、開けた空間はやはり真っ暗で、奥の壁ぎわの床にTVが5台置かれている。
流れている映像はばらばら。ニュースや映画やドキュメンタリー番組やコント・・・とにかく色んな種類の映像をつなげたような映像だ。
でも、ずっと見ていると気づく。
映像の中の人間(または車や馬など)が、すべて左から右に動いていることに。
それに気づいた瞬間、一気に血が上昇するような興奮に包まれる。
「かっこよすぎる、なんだこりゃ。」
タイトル「Joint」。Enlightenmentの作品だ。
薄暗い部屋にシェルターが1枚。どこかのビルの屋上から撮った、変哲のないビルと空が映し出されている。
ビルはどれもさびれていて、空の色は全然ぱっとしない。
しかし、しばらくすると、思わずびくっとする。
「キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
真後ろに置いてあったスピーカーが甲高い声を出す。その声に合わせて、映像がぱっと切り替わる。
場所は同じだが、空の色が違う。あいかわらずぱっとしない風景。
「キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
また映像チェンジ。何度聞いてもびびる。
この変な声が微妙にはまる。やられた…。
タイトルは「ぴかーん/やった/アツイ!/まずい/よっしゃー/ひらめき・・・」そんな言葉が無数に並んでいる。Song Taoの作品。「キター!!」の同義語を沢山の人に聞いて集まった言葉がこの作品のタイトルだそうだ。
どれもこれも『CET05』で見た作品たちだ。クリエイターの作品に驚いて、興奮して、テンションが上がりっぱなしだった。
(CET05とは、神田・馬喰町・浅草橋・日本橋・大手町・八丁堀……これらのエリアに点在する「空き物件」を利用した、街全体のギャラリー化。そして、この地に可能性を見出すアーティスト・デザイナー・建築家や、伝統を守りつつ暮らしてきた人々が、共同で、薄れつつある街の個性と賑わいを取り戻すための様々な試み。そんな活動を集約した複合型フェスティバル。詳しくは、http://www.centraleasttokyo.com/参照。)
右脳が喜んでる。なんだかそう感じた。
人間ってすごい。
なんでこんなにぶっ飛んでんだ?
自分が、
これらの作品を作った有名クリエイター達と一応同じ造りの脳みそを持っていて、
こんなに面白くて、かっこいいものに触れることができる目を持っていて、
それを「すげー」って素直に興奮できるこころを持っていることが、
なんだか、ものすごくうれしい。
ハッピーだ。
1年のとき、にいちゃんに出会って、
自分の右脳から出てくるものを表現できる手段を持ってることが、
ものすごくうらやましかった。
右脳の造りがどこかわたしと違っていて、発想がぶっ飛んでるところも、
最高にうらやましかった。
でも、同時に興奮したのをよく覚えてる。
単純に言えば、可能性が見えた。
人間って、ものすごい可能性を秘めている。
つまり、単細胞でプラス思考のわたしはこう思ったのだ。
「わたしの脳みそにもなんらかの可能性が眠ってる。」
そんな想いから、今クリエイティブチームのプロデューサーをやっている。にいちゃんが率いるチームだ。
コンセプトは「東京実験場」。やりたいことは、コンセプトのまんま。
今、すごく楽しい。
第一弾は、きものやとのコラボ。アンティーク着物を使って、面白い作品を撮る。わたしが繋いだ店だ。わたしは作品を作ることはできないけど、楽しい。
毎日、右脳が活性化されている。たぶんちょっとは右脳のしわも増えただろう。だって、こんなにわくわくしているもの。
いつになっても、
わくわくして、
「すげー」って興奮して、
「かっけー」って喜んで、
たまには、「わたしもいい仕事したぜ」って、ちょっと誇れるような
そんな自分になれたらいいな。
まだ未完成だけど、ぜひクリエイティブチーム【macla】のHP遊びにきてくださいな。リンクが貼ってあります。