「あすか、あのかっけーCM見た?」
「なになに、なんのCM?」
「日清のCMだよ!」
「見てない!どんなの?」
なんてこんな会話だったか詳しくは忘れたけど、5月のとある日、ファミレスでわたしはにいちゃんとこんな話をした。とにかくにいちゃんはこのCMのことを褒めちぎっていて、わたしは家に帰ったら、すぐにテレビにかじりついた。
そして、やっとこのCMを見つけて「やべー!ほんとにかっけー!」となったわけだ。何がかっこいいかって、映像としてのかっこよさとインパクトのあるメッセージの二刀流!カップヌードルが一列に並ぶBORDER。それを境に向かい合って立つ大人たち。そこで、女の子がふと国境のカップヌードルを食べ始める。それにつられて、大人たちもカップヌードルを手にとって…BORDERがなくなる。「NO BORDER」!!この映像とコピーには本気でやられた。
タイ。バンコクのとあるセブン・イレブン。外国のコンビニはなかなか面白い。それに、何よりぼったくられる心配がない。そこで、わたし達は夜食を探してた。にいちゃんが見つけた夜食は、「NISSIN」のカップヌードル トム・ヤンクン味だ。
トム・ヤンクンと言えば、タイに行く前からあんなに楽しみにしてたのに、屋台のそれは辛すぎる+とても言葉で言い表せない味(あとで気づいたが、それはパクチーのせいだ)が口いっぱいに広がって、わたしはそれ以来トム・ヤンクンを敵とみなすようになった。にいちゃんだって、この敵が辛すぎて、水分なくなって干からびて死ぬんじゃないかって心配になるくらい、汗を垂れ流してトム・
ヤンクンを食べてたはずだ。それでちょっと救われたことと言えば、隣の席に座ってた男の外人2人組が笑ってくれたことくらい。
それなのに、なんでわざわざ敵を夜食に?それはやっぱり「NISSIN」の魔力だ。「お〜、これ日清じゃん!!」まるで久しぶりの旧友に会ったときのような懐かしさ。そして何より、この「カップヌードル トム・ヤンクン味」が本当においしかった、さすが日清!!
こんな感じで、わたしは実際に国境を越えた日清のカップヌードルを食べた。いや、日清のカップヌードルをタイ人が食べるってことを知ったのも大事だ。
というわけで、そんな経験もあったから、わたしにはこのCMがびびっと来た。「カップヌードルは、1971年の発売以来、全世界で80余りの国で愛され、累計200億食の出荷を記録するに到りました。」と日清のHPにはあった。ほんとにワールドワイドな食べ物だ。
今、放映されているCMのヴァージョンは、広場に数百人の子ども達が集まってきて、警備をしている大人たちを振り払って、カップヌードルのBORDERを消してしまう。子ども達がカップヌードルを食べて浮かべる笑顔がいい。いつの間にか一人の大人も笑顔を見せる。
この子どもと大人っていう対比もうまい。BORDERをひくのはいつも大人だ。子どもはもっと素直なきれいな目で世界を見ていると思う。だけど、そんな子どももいつかは大人になってしまう。だから、大人が気づかなきゃいけない。BORDERに。そして、そのBORDERをとるにはどうすればいいか。
この撮影場所はロシアの赤の広場。ロシア革命など多くの歴史の舞台となった7万3000平方メートルもある大きな広場だ。赤の広場の「赤」とは色ではなく、古いロシア語で「美しい」という意味があるそうだ。最近では、この赤の広場で、学校占拠事件をうけて数万人が参加して反テロ集会を行った場所でもある。こんな場所で「NO BORDER!」を訴える。この徹底っぷりもすごい。
そして、歌はミスチルの「タガタメ」。
「子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
出来ることと言えば
涙を流し 瞼を腫らし
祈るほかにないのか?」
CMと使われてる曲の連動感ってすごく大事だと思うけど、このCMは特にそれが強いと思う。
『ふとしたとき、意味も無く、口ずさんでしまう「POP SONG」は
人の心の深層に刻まれ、作用していくのだと思う。
「タガタメ」にとってそれは価値のあることだ』
日清のカップヌードルのサイトに書かれていた桜井さんの言葉。ひとが心の深いところで、この曲の歌詞の意味を考えたら、それは、きっと「NO BORDER」につながると思う。
ひたすら、この「NO BORDER」を褒めすぎたけど、今日のブログで何が一番言いたいかというと、やっぱりCMは力を持っているんだってこと、世界を平和にするきっかけになるパワーを持ってるんだってことを、このCMが証明してくれたことがわたしはほんとにうれしかった。
人がもっと幸せになるに、地球がもっと平和になるために、気づかなければいけないことに目を向けてもらうにはどうすればいいか、それをもっと一人一人が考えられるようにするには?
フィリピンのゴミ捨て場で、ふと迷い込んだスラム街で、ずっと服の裾をつかんでついてくるストリートチルドレンの虚ろな目を見て、「金持ちの」日本人を珍しそうに眺める人の目を見て、アンコールワットの近くで「オネエサン、コレカッテクレナイト、ガッコイケナイヨ」と言って物売りをしている小さな女の子を見て、日本円では500円くらいのお土産を買っただけでずっと頭を下げて神に感謝しているメキシコの先住民のおばあさんを見て、色んなところで、わたしは色々考えさせられた。わたしが考える当たり前が、世界のどこでも当たり前ではないことを、目を向けなければいけない現実があることを知った。わたしはなんだろう?日本人のわたしとはなんだろう?わたしにできることはなんだろう?
そんなことをもっと色んな人が考えるようになったら、何かが変わるんじゃないか?そんな人の意識をちょっと変える気づき(アウェアネス)を発信したい。それが今のわたしの夢だ。しかも、できれば、同じ若者にわかりやすい形で伝えられたら。
この気づきを発信するために、わたしに一番合った、手段はなんだろう?って必死に模索しているのが今のわたしだ。
「こころの発信」とでも言うのかな。こうやって、考えてることを人に伝えて、それで人と人のこころが接して、それでお互いの意識がちょっと変わって…。そんな化学反応を起こせるような人になりたい。
それで、世界が少しでも変わっていけたらって思う。もっと世界が幸せになれればいい。
幸せの価値観はたくさんある。だから、もっと知らなきゃいけないことを知ろうとするこころをいっぱいにしたい。
そのためには、まずわたしがもっともっと勉強しなくちゃなぁ。「NO BORDER」とか言うけど、まずは自分の中にあるBORDERに気づかなきゃ。そして、見えないところにあるBORDERをもっともっと見つめなきゃ。
NO BORDER!!