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no rain, no rainbow

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他人の家のことなんて知らないけど、
わたしの家族は結構変わっているとおもう。

A型のお父さん。
B型のお母さん。
O型のわたし。
AB型のいもうと。
B型のおとうと。

ちっちゃい頃、わたしだけAもBも入っていない血液型であることに、
捨て子じゃないかと本気で悩んでアルバムを引っかきまわしたこともあったが、
そんな謎は高校1年の生物の授業であっさり解明されたから、
ここではおいておく。
(思えば、苦手な生物のテストで点を取れたのは遺伝のとこだけだった。)

なんであえて血液型を書いたかといえば、
血液型がばらばらであることが、
性格も趣味・嗜好もてんでばらばらであることと関係があるはずだ、と
宗教のように信じている点が
わが家の家族全員のあいだでめずらしく一致しているからだ。
(例外は、おとうとはお母さんと血液型が一緒という点で、
 ひとくくりにB型を分析されることを嫌がっているところだ。)

本当にに変なところは山ほどあるのだけれど、
家族をこういうところであまりにさらし者にするのも気が引けるので、
少しだけ紹介したい。

まず、A型のお父さん。

一言でいうと、マイペース。というか天然。
この父の仕事の都合で、わが家はしょっちゅう引っ越しを繰り返してきた。
が、わたしの高校入学を機にそれもできなくなり、
さみしい単身赴任を繰り返すはめになり、
今は仙台で一人暮らしをしている。
でも、単身赴任をしてから、やけに饒舌になった気がする。
明らかに、昔よりいきいきしている。
太極拳を始めたり、果実酒作りに凝ったりしているらしい。
ちなみに、最新作のメロン酒は失敗したと笑っていた。
(メロンがもったいない。)

家に帰ってきて、夜中に酔っ払うと
起きている兄弟3人を相手に何度も同じ話をする。
話す回数が多い話ベスト3のひとつは、
「病気になって管だらけになって死んだり、
 ぼけたりして明日香たちに迷惑をかけるのは嫌だから、
 死ぬときは自分で死にたい」という話。
しかも、真冬にお酒をたんまり飲んで酔っ払い、
屋根かどこか高いところから、
雪が何メートルも積もっているところにサクッと落ちて、
酔っ払っているからそのまま寝てしまい、
凍死して死ぬという方法。
これは兄弟3人ともなかなかいい案だと認めているが、
そもそもそういうことを真剣に考えて、
何度も話す時点で少しずれている、と
わたしは思っている。

次に、B型のお母さん。

植物が好きで、自分が育てる植物を眺めることがとても幸せらしい。
そこまではいいが、興味がないのに、
延々と植物の特徴や健康状態を説明して、「庭に来て!見て!!」という。
若干、空気が読めない傾向があるので、
めんどくさいオーラを出していても気づかない。
兄弟3人で話し合った結果、
自分たちのように転校という厳しい状況を経験しなくて済んだので、
空気が読めなくともすくすく成長できたんだろう、という結論。
映画のストーリーも読めないので、
見ている途中で「これ、どういうこと?」と聞いてくるのだけは
やめてほしい。

よく友だちに言われるのは、「明るくておもしろいお母さんだね」。
病気のときは、本当にその明るさに救われた。
昔はがみがみ怒られて、
お仕置きで生のたまねぎを丸ごと1コ食べさせられたりしたが、
(今考えると、意味不明。たまねぎが余っていたのだろうか…)
前よりはやわらかくなった気がする。
キレたときは階段を音を立ててのぼったり、ドアを音を立てて閉めたり、と
精神年齢7歳並みの行動をとるが、
他人の悪口を決して言わないところと、
「いやなことは考えてもしょうがない」というポリシーは
見習いたいと思っている。

わたしに関しては、
自分では家族のなかで一番まともだと思っているけど、
そのへんは皆さんの判断にゆだねる。

なので、次に、AB型のいもうと。

AB型だからなのか、なんなのか原因不明だが、
とにかく変人。
小さい頃から、ものすごく頭がいいのだが、
その分、ひねくれてしまったように思われるところが多々見受けられる。
まず、自分だけ家族に愛されていないと思い込んでいる。
わたしは長女だから、
いもうとが生まれたときから見ていてよくわかるのだが、
それは断じて、ない。
わたしと似ず、目がくりくりしていて、
小さいころからかなりかわいがられていた。
一時は本気で家族を憎むほど、その思い込みに付きまとわれていた様子。

そして、自由人。とにかく思考が自由。
大学選びの基準もばらばらすぎてよくわからなかった。
最終的に、かなり偏差値の高い大学をけって、
リーガ・エスパニョーラを見たいという理由だけで、
海外留学が半年必修になっている大学にいって(スペイン語選考)、
スペインから帰ってきたら、
「サッカー見すぎて飽きた。なんであんなにスペイン行きたかったんだろ」
と言った。
今年の夏だけで、メキシコ、カンボジア、ペルーなどの一人旅を含み、
10ヶ所以上旅行に行くと言っていた。
(旅好き、しかもバックパッカーという点では気が合うらしい)
「何度も成田に行くのめんどくさいから、
 メキシコから成田に帰国したら、
 その日にカンボジアに行けるように日程変更しようかな。
 どうせ荷物いっしょだしね」
と、本気で言うほど、ストイックだ。

ちなみに、ひねくれているので、
わたし「マンガ貸して」
いもうと「いいよ」
わたし「どこに置いてある?」
いもうと「明日になったら貸してあげる」
わたし「自分で探すから、場所だけおしえて」
いもうと「明日になったらね」
わたし「今読みたい。おねがい」
いもうと「やだ。絶対だめ」
という理不尽な会話も展開される。やっぱりひねくれている。
でも、次の日になったらちゃんと貸してくれる。
よくわからない。

最後に、B型のおとうと。

5歳も年が離れているので、
小さい頃から、わたしは結構おとうとの面倒を見てきたと思う。
高校受験も大学受験のときも勉強計画をたてて、勉強を教えてあげたし、
今でも大学のレポートを手伝ったりしている。
(単にわたしがおせっかいな上に、
 おとうとはそれをしなければそれを一切放棄できる性格であることが由来している。)
そのせいかわからないが、なかなか仲もよい。

このおとうと曰く、いつも学校で
わたしといもうとの名前を出されて「優秀なおねえさんね」
といわれていたのが嫌だったらしく、あまり勉強ができない。
これもおとうと曰く「頭はいいけど、勉強しないから、できない」らしい。
その反動かわからないが、金を稼ぐセンスがある。
高校生のときから、ネットで数百万円稼いでいて、
大学生になった今では、その金を資金源に株を運用している。
だから、わたしのCOACHの財布はおとうとに買ってもらったものだし、
わたしがよく穿いているリーバイスレッドは実はおとうとので、
6,7万くらいするらしい。
(わたしが太っているときに穿きすぎたせいで、
 伸びて形が悪くなったからもういらないと言っている。)

いくらお金を持っていても、
趣味の服以外には、ほとんどお金を使わないことは
心底尊敬するが、
いつからか自分を欝だと言い張るようになり、
(家族から見れば、友だちも多いし、
 悩みも愚痴も言うし、いたって正常にみえる)
mixiで「死にたい、でも生きたい。」というコミュニティに入っているのは
ちょっと笑えた。
こないだわたしが、
「わたしも病気になってから無気力症候群だし、欝だよ」というと、
「明日香はポジティブな欝だけど、おれはネガティブな欝だから。」
と言っていた。
よくわからない。

少しだけ紹介するつもりだったのに、
ずいぶん長くなってしまった。

でも、最後にひとつだけ声を大にして言いたいのは、
わたしはこういう家族のみんなを結構すきだったりして、
この家族のあいだに生まれてきてよかったと思っていて、
そして、たぶん他の家族も少なからずそう思っているところだ。


なんで急にこんなことを書いたかというと、
ずっと見たかった映画「Little Miss Sunshine」のDVDを最近やっと見たからだ。


ほんとにすがすがしい映画だった。

わが家以上に、相当風変わりな家族の再生の物語。

独自の成功論を振りかざすが、裏切られ、破産の危機を抱える、父。
家族を嫌って、ニーチェを崇拝し沈黙を守る、兄。
ヘロイン中毒で、下ネタも何でも言いたい放題の、祖父。
失恋が原因で自殺を図った、ゲイの学者の、叔父。
ビューティー・クイーンを夢見る、ぽっちゃり体系の、娘。
そんな家族に疲れ果てつつ、必死でまとめようとする、母。

そんなばらばらの家族6人が、
娘オリーブの「リトル・ミス・サンシャイン」コンテスト出場のために、
カリフォルニアに向かう。



おんぼろでブレーキが利かない、
でもとってもハッピーな黄色の車体を持ったそのワゴンは、
どこかしら社会からはみ出してしまっている部分を抱える家族を
よく象徴している。

だから、彼らがそのワゴンを押しながら発車させる場面は、
ときに励ましたくもなり、
いじらしくもなり、
切なくもなり、
なんともほほえましくもある。

もう何度でも見たいシーンなのだ。



最後の最後に、
彼らが無事ワゴンを発車させて、
走りながら全員ワゴンに乗り込めたとき、
自然に涙が出た。

「ああ、こうやって人生は続いていくんだ」
と思った。

欠点があっても、
多少勘違いしていても、
社会とちょっとずれていても、
何度か失敗しても、
人は自分らしくあるのが一番で、
それさえ大切にしていれば、
人生は前に進んでいくのだ、と。

この映画はそれを、本当にすがすがしい表現で
さりげなく教えてくれる。


正しいこと、勝つこと、成功することが絶対とされる世の中だけど、
間違っていること、負けること、失敗することから
学び、得られる何かもきっといっぱいある。

だから、自分にだけは
うそをつかないで生きていこうと思う。

できれば、家族にもうそをつかないほうが
すてきなのかもしれない。

でも、それはたぶんむりだから、
(もうすでにたくさんのうそをついてきた気がする)
とにかく家族を大切にしたい。



最後に、もう一度だけ言うが、
わたしは自分の家族が
結構すきです。



前から不思議に思っていることがある。

なんでヘッドフォンはいつも
いつのまにか絡まってしまうんだろう。

バッグの中に入れたり、机の中に置いておいたりすると、
絶対と言っていいほど必ず、
ヘッドフォンに結び目がついている。
絡まらないように、
機体にぐるぐる巻きつけておいてもだめなのだ。

今日はとくにひどかった。
2,3ヶ所結び目がついていて
わけがわからないことになっている。

麻痺のせいで、
わたしの左手の親指と人差し指は
素直にいうことを聞かないので、
こうゆうときは本当に腹が立つ。

がんじがらめ、だ。

でも、いつのまにか理不尽に絡まったヘッドフォンも、
素直にいうことを聞かない左手の指も、
投げ出さずに
地道にゆっくりほどいていけば、
いつか元どおりになることを、
わたしは知っている。

そして、そうやってほどいたヘッドフォンで聞く音は
絡まったままで聞くヘッドフォンより、
いい音がする錯覚に陥ってしまうことさえある。


ヘッドフォンならまだいいけれど、
人は自分でも気づかないうちに、
(だから、それはときに理不尽と訳される)
ネガティブなことにがんじがらめになっていることがある。

それが、会社や学校での人間関係についてだったりするなら、
まだ抜け出す方法はおおいにあるように思う。

でも、それが生まれたときから背負っているもの
−例えば、肌の色や人種や、親の信条などを含む環境−
だったら、どうだろう。
生まれ持って背負っているその絡まりは、
きっと成長するにつれて
さらに深く絡まってゆく。


実話に基づく映画「フリーダム・ライターズ」を見た。


舞台は1994年、ロス暴動直後のロサンゼルス郊外。

わたし達には想像もできないようなものに
がんじがらめにされている、ウィルソン公立高校の生徒たち。


低所得者の多いこの地域では貧困による憎悪と犯罪がうずまき、
生徒たちは人種ごとに対立し、いがみ合っている。
白人、黒人、ラティーノ、東洋人…。


抱えている問題が大きすぎて、
きっと彼らは、
自分が果たして何にがんじがらめになっているのかも
わかっていない。

だが、エリンという新米の女教師が
彼らに変化の糧を与えていく。
それは、自分を見つめなおす1冊の日記帳、
そして、教育。

彼らは彼女に出会えたことで、
自分のしがらみを少しずつほどいていく・・・。


この映画は、ひとりのすばらしい教師が
生徒たちを変えていく話だと捉われがちだが、
実際はそうではないのではないかと思う。
教師と生徒が“ともに変わっていく”話だと思う。


“変化”というものが人に訪れるとき、
そこにあるのは
「(誰かを)変えた」とか「(誰かに)変えられた」という概念とは
少しちがうように思う。

そこにあるのは「変わる」という自動態である。
受動態では決してない。

変化するとき、
人は必ず何かしらに
きっかけや影響を受けていると思う。
それは、ある事柄であったり、人であったりさまざまだ。
でも、そこには、
「変わる」自分が常にいる。

「変わりたい」「変わろう」という“意志”がある。
それがなければ、“変化”はありえないのだ。


だから、この映画で描かれている話がすごいのは、
困難な状況にある生徒たちが
「変わろう」という意志を持っていたことだと思う。

それを引き出したエレン先生も、
そんな彼らから何かを得て、変化していると思う。

変化の相互作用は涙がでる。



一歩踏み出すことが、
ときにものすごく困難なことがある。

とくに、絡まりに絡まったしがらみなら
なおさらだ。

でも、「変わろう」という意志を
持ち続けられる自分でいたい。
そう思った。




『シーソーは、下におちる瞬間より
 上にあがる瞬間の方がおもしろい、とあたしは思う。
 上にあがるときは
 自分で地面を蹴るけれど、
 下におちるときは
 なんにもしないでおちちゃうから。』

江國香織 「神様のボート」より。



雨が降っている。
ただそれだけなのに、
雨は街の表情をがらりと変える。

@表参道。
たばことコーヒーを片手に
表参道に面したカフェの2Fから、
道ゆく人を眺める。

カサ、カサ、カサ・・・。
人がカサに隠れて、表参道はカサで溢れかえっている。
カサがふわふわ浮いていて、
ゆっくりゆっくり動く。

なんだかくらげに見えてきた。


どんどんテクノロジーは進歩して、
いまや携帯でテレビも見られる。
ナビの声に耳を澄ませば、
車はどこでも正しい場所に着く。
耳につながっているi-pod nanoは、
2000曲もの音楽でわたしを飽きさせない。

どんどんデザインは進化して、
街にはさまざまな色と形で溢れている。
すぐ近くには安藤忠雄のデザインした表参道ヒルズ。
落ち着けるかどうかは別として、
ちょっと気の利いたおしゃれなカフェなんて、
腐るほどある。


そんな中で、
カサはずっと前からそのままで、
シンプルな形を保ち続けてきた。

しかもくらげに見えるのは、
値段も安い透明ガサが圧倒的に多いのも
その一因だろう。


人間は、案外くらげみたいなものかもしれない。

不安定で、ときには人も刺して、
弱くて、ふわふわしている。
でも、海の中を漂うそれは、
ときに驚くほど美しかったりする。

とにもかくにも、
少なくとも、ここから見るカサを差して歩く人たちは
くらげみたいに見える。

でも、わたしがカフェでひとりでこんなくだらないことを
色々考えているように、
くらげみたいに、あのカサを差して歩くひとりひとりにも、
色んな感情があるんだな。
そして、それがくらげを動かしている。

そう思うと、くらげたちが妙にいとおしく思えた。



話は変わるが、
わたしの左腕は、少し触れるだけで痛む。
雨のしずくがカサをうまくよけて、
左腕に当たるだけで、
声を上げてしまうくらい痛かったりする。
だから、人ごみや電車の中では
特に他人が憎かった。

退院したてで、鞭打ちの人がよくやっている、
カーラーを首につけていても、
電車の中で、今まで誰一人として、
席を譲ってくれる人はいなかった。
それどころか、自分は席に座りながらも、
立っているわたしの首や全身を
じろじろと意地悪く眺め回す人もいた。
人はほんとに冷たいなって何度も思った。

最近は一見、見た目には麻痺が目立たず、
普通の人と変わらない。
でも、ちょっと触れられただけでも痛い左腕や、
すぐに膝が折れる左足は、
電車が堪える。

やたらと他人を押しのけて電車を降りていくおじさんに悲鳴を上げ、
いっそのこと、左手にガムテープでも貼って、
「麻痺してるので触らないでください」
と書いておこうとまで思うのは、
一度や二度ではない。

でも、つい最近、生まれて初めて
席を替わってくれた人が、ふいにあらわれた。
しかも、わたしの前の席ではなく、
その3人くらいとなりの人。

「おじょうさん、こっちに来て座りなさい。」
と声を掛けられたとき
予想外すぎて、一瞬声が出なかった。

普通に見えるであろう、わたしの動きのどこで異常を察して、
心配してくれたのだろうか。
肉親か誰かに、わたしのような症状の人がいるのだろうか。

素直に好意に甘えて、座席に座ってから、
なんだか胸がいっぱいになってしまった。
わたしが先に降りることになって、
少し離れたところに立っていたその人に、
何度もお礼を言って降りた。


その人が、なんでわたしに席を替わろうと思ってくれたのか、
理由はまったくわからない。
だけど、ひとつだけ、
わかったことがある。

経験の分だけ、
視点が増えて、
その分、他人を思いやれるようになるのなら、
つらい経験も悲しい経験も、
決してマイナスではないということ。


もう何度も言っているけど、
“no rain, no rainbow”ということばが好きだ。
これはただ、「やなことの後にはいいことがある」
という意味以上のことばなんじゃないかって、
初めて気づいた。

雨はやがて上がり、晴れる。

でも、ただ晴れではなく“rainbow”である理由。

それは、雨なしでは絶対に見れない虹のように、
つらい経験や悲しい経験によって、
それがなければ、
絶対に見られないもの、感じられないものを
得られることを示唆しているのではないか。

七色の虹のように、
さまざまな経験によって、
少しずつ視点が増えて、
人生がより豊かになる。

そう思ったら、
このことばが前以上に好きになった。


そんなことを考えた、
雨の日の表参道。

やっぱり雨は、
恵みの雨です。





なんか変な虹です。
不気味なので送りました。
うそ。
きれいなので送ります。

少し前に見た、映画『虹の女神』より。



“たまらなく好きなもの”って誰にでもあると思う。
ただ、それがあるだけで、
とてもしあわせな気持ちになれるもの。


わたしは「はちみつ&ゆずジュース」がたまらなく好きだ。
もう冷蔵庫の中にやつが構えているだけで、
それが冷蔵庫を開ける度に見えるだけで、
なんだかとてつもなくしあわせな気分になってしまう。


そこいらじゃ売ってないそれは、
なんと大分から贈ってもらっている。

最初に30缶もやつが入った、その段ボールが届いたのは
去年の誕生日あたり。
「あすかが絶対に好きだと思うから。」
ただそう言われて、何が来るかとどきどきして待っていたら、
予想外の大きさで、
宅急便のおにいさんから預かった段ボールのその重さに
びっくりした覚えがある。
しかも、開けたら缶ジュース30缶。
思わず笑ってしまった。
でも、わたしは“はちみつ&ゆず”のキーワードにめっぽう弱い。
サンマルクカフェのゆずちゃもだいすきだ。
あっさり忘れてしまいそうなそんなささいなことを、
友だちが覚えててくれたのがうれしかった。
そして、冷やして飲んでみたら、さらにびっくり。
今まで飲んだ中で、ダントツ一番のはちみつゆずジュース。

腫瘍が見つかって、中目黒の家で1ヶ月入院待ちをしている間に
それはあっという間になくなってしまった。
不安で眠れないときも、
そのジュースには何度も助けられた。

そしたら、今度は、入院中に
わたしの実家宛てにまた送ってくれた。
うちの冷蔵庫で冷やしたやつを、
何本かずつ母が持ってきてくれる度、
それをリハビリの合間や、寝る前に飲む度、
いつもちょっとだけ元気になった。

あまりにおいしくて、
いつまでも名残惜しくて、
退院してからも、ラスト1本を数ヶ月冷蔵庫においておいた。

それをふざけて友だちに言ったら、
また今年の春、やつが30缶我が家に届いた。
ずっと取っておいたラスト1本がぎんぎんに冷えて、
最高においしかった。

そういうわけで、また今、やつによって、
わたしはしあわせな毎日を過ごしている。


わたしは毎日、麻痺が少し残っている足のリハビリのために
近くの大きな公園を散歩している。
そんなとき、必要不可欠なのが
i-podとこの「はちみつ&ゆずジュース」。

休憩のベンチでいつもこれを開けて、
音楽に浸りながら、
たばこを吸うのが、
たまらない。



そして、この日課で発見したことがある。

缶と空はつながっている。


わたしは腫瘍の手術をしたときに、
首の骨を半分にパカッと切った。
それで、今はチタンボルトとやらが入って
わたしの首の骨を繋いでいる。

だから、前は首を上下や左右に動かすのが
痛かったし、こわかった。

でも、缶ジュースを飲むためには、
首を上げなければいけない。
そして、そうすると必ず飛び込んでくるもの。


空。

きっと缶を開発した人は、
飲み終わりに空を見るように缶を作ったのだと思う。
飲み干すためには、
どうしても上を見上げなければいけないつくりに。

だから、飲み終わった缶は
空き缶。
やっぱり空につながっている。


どうがんばっても、
少しだけ残ってしまう中身は、
なんだかとてももどかしくて、
でも、それが何かを示唆しているような気さえする。
次につながる何か。
それが、なんだかとても大事なものに思えたりする。


今日は暑くて、
やつも汗をかいていた。

かわいかった。


缶と空の関係性。
こういうささいな必然性が
なんだかとてもいとおしく思う最近。




そうだ、わたしの真上のこの空は
大分の空ともつながっている。

べっきー、ありがとう。



休職兼リハビリ期間も、
気づいたら8ヶ月にもなった。

先月、映画のレビューを更新するのと同時に、
入院のときにつけていたノートを元に、
日々うじうじ考えていたあれこれも
まとめて更新し始めた。
(混乱するから、
 あえて日付は、そのときのものにしてある。
 9/28分からがそうかな。)

麻痺のせいにして、
いろんなできないことに理由をつけるのは
あんまりしたくない。

だけど、最近のわたしは、
そういういやな自分になりつつある。

だから、気持ちを整理することも、書くことも、
だいぶ長い間してこなかった。

何かを始めるときに必要なのは勢いだ、と
今でもわたしは信じている。

そんなときに、何か気持ちが引っかかってるのはいやだから、
そのときのためにも、
わたしにとってはなかなかでっかい経験だった、
病気のことをちゃんと記しておこうと思う。

左手もPCを打っていればいいリハビリになるし。

そういうわけで、
これからは、もうちょっとだけちゃんと
このBLOGを書きます。

たぶん、病気のこともまだまだ書きたいので、
10月とか11月分の記事も
これから少しずつ増えるかもしれない。

それと同時に、
時間があるのをいいことに、
本や映画だけは、大量にinputしているので、
(しあわなことだね)
そういう日々のことも書いていこう。


※いきなり更新しだしたら、
友だちがびっくりしていたので、
ゆるいinfoでした。

※あ、ついでにもうひとつinfo。
 右上のwindowはyou-tubeとリンクしてて、
 そのときの気分に合わせて好きなうたとか入れてるから
 よかったらみてみてくださいな。


さいごに。
またまた、魔女の宅急便より。

絵描きのウルスラが
こんなことを言っていました。
(たしかね。)

『魔法も絵に似てるんだね。
 わたしも描けなくなるときあるよ。
 そうゆう時はじたばたするしかないよ。
 描いて描いて、描きまくる。
 (それでもだめだったら?byキキ)
 描くのをやめる。
 そしたら、ある時急に描きたくなる。』


ウルスラにとっての絵のように、
文章がわたしにとってそんな大それたものであるような気は
あんまりしないけど、
なにかが変わるきっかけになればいいな。



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